
イメージ画像です
今月3月は10時間を2回行いました。下の画像が管理表です。左の画像は二日がかりとなったことを、右は一日で終えたことを示しています。これにて、ちょうど合計40回となりました。
- 10時間唱題表。39回目。
- 10時間唱題表。40回目。
これだけの回数をやってくると、だいぶ慣れてきた部分もあるのですが、やはり10時間はキツイです。今回の10時間をやりきるまでに、「今日はやろう」と思って出来なかった日が、4~5回ほどあったのです。10時間唱題に限らないことですが、やはり、自分が腹を決めないとやり抜くことは出来ないものなのですね。
また、完遂できた昨日はきのうで、後半はまたもや睡魔との戦いでした。途中、適宜、休息もとったのですが、異常な程の眠気でした。寝入ってしまい身が入らない時間はカウントしないので、なかなか終わりません。これは魔ではないかと見破った時に少し楽になって、やがて10時間を達成していました。
自己の課題の解決と、祈りの成就を懸けての10時間への挑戦でした。世界・日本・地元の平和・安穏・繁栄なども祈ることができ、深い満足感に包まれています。
実は、過去の唱題を集計したところ、合計8,000万遍を達成していました。1985年(昭和60年)7月から2025年(令和7年)3月27日までの約40年間かかっての、8,000万遍です。それ以前の未来部時代の唱題は記録が無く含まれていません。
これまで自分らしく唱題に挑戦するなかで、様々な課題を解決でき、多くの願いを叶えてくることができたことに、学会への深い感謝と報恩の戦いを期すのみです。人生の総仕上げの時期に差しかかり、まずは1億遍の峰を目指し、いよいよ広布前進のそして人生開花の勝利の実証を示してまいります。では、ここで先生のご指導を学びましょう。
●新・人間革命 第26巻「法旗」の章から
同時に伸一は、広布第二章の「支部制」の発足というこの時を契機に、全同志が心を新たにして、自身の人生ノートに、共に勝利の大叙事詩を書き綴ってほしかった。彼は、思わず、すべての愛する法友たちに、心で語りかけていた。
”私は、見ている。見守っているよ。弱ければ、強くなればよい。臆病なら、勇敢になればよい。裸のままの、ありのままの自分でよい。その人が、法旗を手に敢然と立ち上がるからこそ、何よりも尊く、大いなる共感が広がる。困難はドラマの始まりだ。逡巡は挑戦へのステップだ。苦闘は感動を生み出すためにある。胸を張り、腕を振り、勇気の一歩を踏み出すのだ。時は今だ!”
伸一の瞼に、使命の法旗を翻し、広布第二章の決戦に馳せる師子たちの勇姿が浮かんだ。
●寸鉄から 25-3-6
燃え上がる信心でなければ祈りは叶わない――戸田先生。師弟誓願の題目で。
●名字の言から 25-3-8
御聖訓に「あなた方は権力を持つ人を味方にしている。日蓮は日天・月天・帝釈天・大梵天王を味方としよう」(新2130・全1259、通解)とある。権力者とつながりを持つ自分たちの主張を正当化する相手に対し、日蓮大聖人が悠然たる境涯で確信を述べられた御金言である。
●声の欄から 25-3-15
「あなたが重い病で苦しむということは、使命もまた、それだけ深いということなんです。病苦が深ければ深いほど、それを克服すれば、仏法の偉大なる功力を証明することができ、広宣流布の大きな力となるではないですか」
(小説『新・人間革命』)
●嘱累品 虚空会──「付嘱の儀式」の完成 「法華経の智慧」から
弟子の側から言えば、「私が全部、苦労を担っていきます」というのが「嘱累」です。それで師弟相対になる。師弟というのは、厳粛なものです。師の一言でも、どれだけ真剣に受けとめているか。「すべて実行しよう」と受けとめるのが弟子です。師匠の「口まね」をするのが弟子なのではない。「実行」こそ「弟子」の証です。
●社説から 25-3-15
「”後継” と ”後続” とは異なる。後方の安全地帯に身を置き、開拓の労苦も知らず、ただ後に続く ”後続の人” に、”後継” の責任を果たすことなどできようはずがない。”後継の人” とは、勝利の旗を打ち立てる ”先駆の人” でなければならない」
(『新・人間革命』第2巻「先駆」の章)
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