「我がまま」「怠惰」「臆病」といった心は誰にでもある。「一人を大切に」「生命尊厳」の名のもとに、我がまま・怠惰・臆病を野放図に許しては、どんな組織であっても近いうちに崩壊は免れられまい。
かの人物は文筆を生業としているのか、あるいはどこかの記者でもやっているのか。作文やレトリックの能力が優れているのは認める。よくあれだけ抽象的な事柄を、自身の頭の中で組み立てて展開できるものだと思う。元々、自分が理系から出発しただけに、それは素直に感心する。
その上で、かの人物の文章には、「そういう部分はあるかも」と共感してしまう部分と、「その断定には無理があるのでは」「論理の展開に飛躍があるよ」と首をかしげざるを得ない部分とが、混在している。その割合は自分の見立てでは、量的に言えば2:8、または3:7位であろうか。
結局、なんだかんだ言って、「戦いたくないんでしょ」「楽をしたいんでしょ」というのが、透けてみえるような気がするのだ。それを誤魔化すために、「戦えていない会員を大事にすべきだ」「現状の組織にはこういう問題がある」と言っているに過ぎないように感じるのだ。
組織には「目的」というものがある。この人物が言うように、一部の会員が排除されるような組織であってはならないとの視点も、改めて持つべきだ。実際に、「会合に出て来られない会員を大切に」といって、様々に参加しやすいよう工夫を重ねたり、幹部自ら出向いて手当てが重ねられている。
その上で、例えば今は法戦であるから、公明党出身の候補を勝たせるため、中道を勝たせるためとの目的で真剣に戦っている時である。こんな時に、皆が「緩い戦い」をすれば、勝てるものも勝てなくなってしまうのは明らかだ。前回の衆院選では公明党は8議席も失ってしまった。もしまた大負けするようなことがあれば、最も悲しむのは真面目に戦った多くの会員であり、霊山の池田先生ではないだろうか。
「日蓮が弟子の中に異体異心の者これ有らば、例せば、城者として城を破るがごとし」(生死一大事血脈抄 新版1775㌻)とあるように、創価学会という城を内から破るようなことは、厳として戒めていくべきだ。そんな動きに微動だにする学会ではない。哀れなのは、知らず知らずのうちに「師子身中の虫」と化して、堕地獄の因を積んでしまうことだ。
公明党は日本政治の「柱」である。少し乱暴な言い方かもしれないが、どこと組むかという “相手” よりも、“公明党が” どこと組んだかということが大事なのだ。結局は党出身の28人を、そして中道の理念に賛同して集ってくれたできるだけ多くの候補を、当選させることが、日本政治の夜明けには必要不可欠なのである。
色々と厳しいことも書いたが、最終的に投票先を決めるのは、その人自身である。その前提の上に、今まで以上に「一人を大切」にし、そして「自分も大切」にしながら、同じ戦うなら朗らかに楽しんで、前進していこうと思う。

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