『新・人間革命』第9巻「衆望」の章からの抜粋です。
都議会公明の「隅田川し尿不法投棄」摘発
1963年(昭和38年)6月28日、都議会の本会議のことであった。公明会の澤田良一が、一般質問に立った。彼は都知事に迫った。「大量の “し尿” が、消毒もされぬまま、隅田川に不法投棄されているという事実をご存じか!」
――都清掃局の江北作業所には、足立・荒川・北の三区から “し尿” が集められ、その “し尿” は、ここのタンクに収容される。そして、これを運搬船に積んで、大島沖まで運び、黒潮に乗せて放流することになっていた。ところが、”し尿” を作業所の貯留タンクから運搬船に移す際に、一部の業者が船底の放流口を開け、そのまま隅田川に流していたというのである。それは、実際より多量の “し尿” を運んだことにして、運搬料金の水増し請求をするためであった。
澤田の質問を聞くと、最初、議場には、笑いが起こった。”そんなことがあるはずがない” と、誰もが思っていたからである。澤田は、一枚のキャビネ大の写真を示した。写真には、雪のようなものが帯状に、川面に広がっていた。
「この白いのは、全部、不法投棄された “し尿” から発生したウジです。これでは、都民は、まるで肥溜めのなかに住んでいるのも同然です。私たちは、“し尿” のなかに埋まっているといっても過言ではない。私は、その実態を、その現場を、この目で見てきたのです!」
(中略)
隅田川の一 “し尿” 処理事件は、7月1日、都議会衛生経済清掃委員会で取り上げられ、翌2日には、都の清掃局長や委員会所属の議員らで、実態調査が行われたのである。公明会からは、衛生経済清掃委員会の委員長を務めていた上川清光や、澤田らが参加した。一行は、江北作業所のタンクを調査したあと、し尿運搬船に乗り込んだ。
夏の太陽がジリジリと照りつけ、耐えがたい悪臭が広がっていた。公明会の議員は、不法投棄はないと言い張る、運搬船の業者らに尋ねた。「この船の底に、“し尿” を放流するための開閉口はありませんか」
「ありませんね」
議員は、甲板の下にある、カラになった糞尿槽をのぞき込んで言った。「あそこにあるのは、あれは開閉口のフタではないのか!」
「今は使ってませんよ。二年も前に釘を打って、開かないようにしてある」 業者は、平然とした顔で答えた。他党の委員たちは、異臭の漂う甲板で、顔をしかめながら、公明会の議員と運搬船の業者とのやりとりを見ていた。公明会の議員の、力強い声が響いた。
「よし、ハシゴを掛けてくれ! この糞尿槽のなかを調査するから」
皆、唖然として、公明会の議員に視線を注いだ。運澱船の業者は、「“し尿” は、大島沖で、ポンプを使って捨てているので、開閉口は使っていない」と断言していたが、議員が糞尿槽に入ると聞いて、狼狽の色を浮かべた。公明会の澤田良一や上川清光らは、顔色一つ変えずに、ハシゴを下り、糞尿槽のなかに入っていった。

都議会公明の「隅田川し尿不法投棄」摘発。1963年。
“し尿” を抜いて、洗ってあるとはいえ、なかには、強烈な臭気が充満していた。残っているメタンガスのせいか、一瞬、頭がクラクラした。そのなかで、彼らは、鋭く業者の隠蔽工作を見抜いていった。開閉口のフタを閉ざすために打たれている釘が、新しく、光っていることを見逃さなかったのである。2年も前に打っている釘ならば、錆びていて当然である。また、鎖をつないでフタを上げるための鉄の輪も、錆びついていなかった。“し尿” を密かに、川に流すために、頻繁に使われていた可能性が高い。
「この釘と鉄の輪は、科学検査のために、持って帰ります」 公明会の議員が言うと、業者は慌てた。
「いや、それはだめだ」
「なぜですか!」
「なぜって……。釘を抜くにしても、ここには、釘抜きもないから、抜けないよ」
上川たちは、江北作業所の職員に、バールを用意するように頼み、釘と輪を引き抜いた。それから間もない、ある日のことである。深夜、議員の家に、脅迫電話がかかってきた。
「この件には、これ以上かかわるな! 深入りするなら、消すぞ!」
男の声は、そう告げたあと、再び念を押すように、「消すぞ!」と繰り返して電話を切った。だが、公明会の議員は、いささかも怯まなかった。“し尿” が消毒もされぬまま、大量に川に放流されるような事態が続けば、赤痢などの病気が発生しないとも限らない。いや、これまで、病気が発生しなかったことが、不思議なぐらいである。そう思うと、彼らは、断じて、退くわけにはいかなかった。大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆のなかに死んでいく――それが公政連の議員たちの、偉大なる精神であったからだ。(中略)
「大衆とともに」の立党精神
伸一は、同志である議員たちに、全幅の信頼を寄せていた。多くの議員たちは、その信頼に応えようと、真剣であり、誠実であった。会員たちは、そんな公政連の議員を、誇りに思い、必死になって支援してきたが、なかには、ほんの一部ではあるが、皆が、頭を抱え込むような、傲慢でわがままな議員も出始めていたのである。
結党の日が迫るにつれて、それらの議員への、怒りの声が噴出していった。それは、同志の、公明党を最高の政党にしたいという、強い思いから発せられた声であった。伸一も、幾人かの会員から、そうした訴えを耳にしてきた。ある議員が、陰では、学会員を見下すような発言をしていることに対して、涙ながらに怒りをぶつける、年配の婦人もいた。
また、別の議員の、あまりにも高慢な態度が、周囲の人びとの顰蹙(ひんしゅく)をかっているので、注意してほしいとの要請もあった。さらに、一人の議員の具体的な事例をあげて、私利私欲を貪るような生き方は改めさせてほしいと、懇願する人もいた。このほかにも、議員が親身になって相談に乗ってくれないといった声や、約束を守ってほしいといった訴えもあった。
真実を語れば、憎まれ、恨まれることになるかもしれない。しかし、皆、公明党への熱い期待を胸に、勇気をもって語ってくれたである。伸一が最も恐れ、憂慮していたことは、議員たちが傲慢になり、民衆に仕えるという根本精神を見失ってしまうことであった。彼はひとり思った。“今、激しく警鐘を鳴らしておかなければ、公明党の将来が心配だ!” 党の結成大会が翌日に迫った、11月16日のことである。この夜、原山幸一をはじめ、何人かの議員が、学会本部の伸一のところに、あいさつにやって来た。
(中略)「議員のなかに、慢心になっている者がいることは、事実だと思います」 一際、大きな、伸一の声が響いた。
「それならば、なぜ、そのことを、指摘しないんですか! なぜ、放置しておくんですか! 原山さんは、これからは公明党の委員長として、党をまとめていかなければならない。そのあなたが、腐った精神の議員がいることに気づきながら、戦おうともしないで黙認している。そんなことでは、公明党は、見栄っぱりで、堕落した人間たちによって、いいように操られてしまうことになる」
悪の芽に気づいたら、すぐに断ち切らなければ、手遅れになる。しかし、それができない原山の弱さが、伸一は心配でならなかった。その一念の弱さが、生命力の衰えを招くからである。(中略)原山は、言われて初めて、自分たちの一念の狂いに、気がついた。
(中略)議員たちが領いた。伸一は、話を続けた。「学会員は、選挙となれば、手弁当で、懸命に応接してくれます。それは、社会をよくしよう、みんなを幸福にしようという、強い使命感で、頑張ってくれるんです。同志である議員だから、民衆のためにすばらしい仕事をしてくれると信じて、応援してくれるんです。その尽力を、当然のように考えては、絶対になりません。
普通は、命がけで働き、輝かしい実績をつくり上げた人でなければ、誰も、懸命な応援なんかしてくれません。学会員だから、応接してくれるんです。ですから議員は、皆の期待に応え、”さすが公明党の議員だ” といわれる働きをすることです。民衆に尽くし抜き、民衆のために死んでいける、本物の政治家になることです」
伸一は、いよいよ船出する公明党の未来のために、議員の心に兆し始めた、油断と騎りの芽を摘んでおきたかったのである。

東京・両国の日本大学講堂で行われた「公明党結成大会」。1964年11月17日。
【ひと言感想】
現場第一主義、調査なくして発言なし、は公明党の優れた伝統である。隅田川へのし尿不法投棄摘発では、それらが遺憾なく発揮された。他党議員や関係者さえ尻込みするような、糞尿層の底にまで、公明党議員は臆することなく入って行ったのである。民衆を苦しめる悪は断じて許さない、との燃えるが如き信念の行動であった。
ここで論点は大きく変わるが、今読んでいる書籍によれば、欧米の議会の歴史を遡(さかのぼ)ると、元々、地方も国会も議員は地方の名望家・篤志家が担っていたこともあり、無報酬が当たり前だったそうだ。国・地域によっては多少の報酬が出たそうだが、それも形だけのもので充分な金額には程遠かったのであり、それが長く続いていたという。
また現代の話であるが、北欧のある国の首相は国会へ登院する時に、普通の国民と同じく地下鉄やバスを使って行くそうである。政治家をあらゆる面で優遇する日本の在り方が、決して世界的、歴史的に、当たり前ではないということに、驚きを禁じ得ない。恵まれた環境にある日本の政治家は、もっと良い仕事ができるはずだ。
学会員は、選挙となれば、手弁当で、懸命に応接してくれます。それは、社会をよくしよう、みんなを幸福にしようという、強い使命感で、頑張ってくれるんです。同志である議員だから、民衆のためにすばらしい仕事をしてくれると信じて、応援してくれるんです。その尽力を、当然のように考えては、絶対になりません。
普通は、命がけで働き、輝かしい実績をつくり上げた人でなければ、誰も、懸命な応援なんかしてくれません。学会員だから、応接してくれるんです。
他党の議員の話であるが、選挙の時だけはペコペコと、よい顔をして、さも民衆のために働くかのように訴えて票を集める。そして一旦、当選してしまえば、ゴロっと態度を変えて、自分位偉い人間はいないと高慢になって、支持者を見下す議員も少なくないようである。
公明党は、そうであっては断じてならない。血のにじむような庶民の支援に、命を懸けて応えていくべきだ。衆望を担って、議員として立つことは、並々ならぬ覚悟であると思う。「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のために戦い、大衆の中に入りきって、大衆のなかに死んでいっていただきたい」と先生は叫ばれた。支持者・党員・議員、皆が心を合わせて我々は、どこまでも大衆の側に立った、慈悲の政治を断行していかねばならない。
(R7.8.8 加筆・修正しました)


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