学会を大事にする人は、御本尊から大事にされる

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21日ぶりの書き込みとなります。いかがお過ごしでしょうか。北海道のわが地元では「ユースフェスタ」の大成功・大結集に向け、前進しているところです。

 

ところで、唱題3時間20分を、一昨年2024年7月から99%以上持続しています。それと並行して、10時間唱題も毎月1回を、1年以上続けています。折伏弘経は元より、人生の課題達成を懸けて、徹して祈り実践していきます!

 

読書について、学会書籍も含め色々な書物を読み進めています。久しふりに「法華経の智慧」を繙(ひもと)きました。特に感銘した箇所を、次に抜粋します。

 

 

法華経の智慧・陀羅尼品から ~普及版・下巻

(424㌻)
池田先生 「広布の実践者を、なにがなんでも護りぬくんだ」という情熱が、ほとばしっている。一つの解釈として、薬王菩薩は「健康」の面から護るとも考えられる。行者を病気から守っていく。もちろん薬王は、迹化の菩薩の代表だから、あらゆる迹化の菩薩が、地涌の菩薩を護りに護るということも示しているでしよう。

 

また勇施(ゆぜ)菩薩は、「一切衆生に仏法という宝を勇んで布施する」菩薩です。これは「法の布施」だが、「財の布施」も含めて、行者を支えようという意義をくみ取れるかもしれない。また「毘沙門天」と「持国天」は、仏法を守護する四天王の代表です。天界の王であるから、「力」がある。今で言えば、ありとあらゆる分野の「指導者」とも考えられる。そういうリーダーが、こぞって広宣流布の実践者を守る。

 

遠藤副教学部長 今、海外の指導者は、次々に学会を賛嘆しています。

 

 

(中略、428㌻)
仏法は「善と悪との大闘争」

池田 こうして陀羅尼品では、二聖(薬王・勇施の二菩薩)・二天(毘沙門天・持国天)と鬼神が、守護を誓う。彼らは代表です。全宇宙の諸天・諸菩薩が同じ誓いを立てている。

 

いわば「法華経の行者」守護連盟です。それは、なぜか。なぜ必要なのか。それは広宣流布が「仏と魔との大闘争」だからです。この娑婆世界は「第六天の魔王」の所領です。その “悪王” に対して、改革を求めて立ち上がった革命家が “仏” であり、“法華経の行者” です。当然、悪の大軍が弾圧しにやってくる。そのままにしておいては、永遠に夜明けはない。そこで、悪の連合軍に対して、善の連合軍で守りますというのが、陀羅尼品なのです。

 

(中略)
また大聖人は「諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん」(全843㌻、新1176㌻)とも言われている。

 

斉藤教学部長 すごい御境涯です。“今は魔王も、こりたことだろう” ――。たしかに、どんなに日本一国の権力をあげて、大聖人を亡きものにしようとしても、できなかった。不思議なことです。考えられないことです。大聖人は “天をかたうどとして” 一人、決然と戦われたのですね。

 

池田 戸田先生が晩年、「創価学会は、よくぞ、ここまで来られた.諸天の加護なくしては考えられないことだ」と言われていた。死力を尽くして広宣流布をした人間以外、この言葉は分からないでしょう。あの大阪事件にしても、全部、学会をつぶす作戦だったのです。

 

<昭和32年(1957年)、参議院の大阪地方区の補欠選挙において、買収と戸別訪問の教唆(そそのかし)という、でっちあげの罪で、名誉会長(当時・青年部の室長)が7月3日に入獄。奇しくも、その12年前、日本の国家主義権力と戦った戸田第2代会長が出獄した日であった>

 

学会があまりにも伸びたので、抑えるために、初めから筋書きができていた。標的は私であり、戸田先生です。何でもいいから私をつかまえ、次は学会本部を手入れして、戸田先生に手出しをしようとしていた。戸田先生は年配です。体力的に厳しいことは、私がいちばん分かっていた。もし、万が一、戸田先生が牢に入れられるようなことがあったら、命にかかわったでしょう。

 

先生は「大作を返せ! わしが棍棒(こんぼう)をもって行く」「あと15年、わしは牢に入るつもりだ」と言われていたが――。絶対に、戸田先生に手出しをさせてはならないし、広宣流布の牙城に権力を土足で踏みこませるようなことは、断じて食い止めたかった。私は、自分が矢面に立って、牢へ入りたいと祈った。戸田先生を私が盾となって護りたいと祈った。そうやって、牢へ入ったのです。

 

斉藤 ……「身がわり」ですね。

 

遠藤 厳粛です。

 

池田 私は、創価学会の屋根になろうという決心できた。屋根だから、炎熱も受ける。雨も嵐も受ける。雪も積もる。しかし、それで皆が守られるなら、それでいい。しかし、そのために、幹部を甘やかしてしまったとしたら、これほど残念なことはない。

 

私は、水の中の杭(くい)のようなものだ。杭が厳然としていれば、民衆の船は杭にしっかりとつかまっていられる。嵐の日にも、安心だ。しかし、そうやって、皆がほっとして、楽しく団欒している間にも、杭は、見えない、冷たい水の中で、一人、頑張っているのです。

 

斉藤 ……これまで陀羅尼品を漠然と読んできたような気がします。「我が頭の上に上るとも、法師(=広布の実践者)を悩すこと莫れ」(法華経 647㌻)という十羅刹女たちの誓いも、自分が矢面に立って、自分は踏まれてもいいから、行者を護るという誓いでした。これをたんに、諸天の誓いとしてとらえていました。そうではなく、その決意で自分自身が戦っていきなさいと読むべきだと思います。

 

須田副教学部長 「人」を守れ、それが「法」を守ることになる――と。

 

 

御聖訓「天下第一の法華経の奉公」

池田 「法自ら弘まらず」(全856㌻・新2200㌻)です。弘法の「人」がなければ、仏法は死滅してしまう。

 

遠藤 大聖人が「天下第一の法華経の奉公なり」(全324㌻・新254㌻)と讃えられたのも、大聖人をお守りした兄弟子たちに対してでした。

 

池田 その通りだ。「天下第一の法華経の奉公」――つまり「これ以上の『法華経への貢献』はない」ということです。それは、高僧を集めて、絢爛たる儀式をしたことでもなかった。多くの人々の前で、立派な説法をしたのでもなかった。当時の “法華経の総本山” ともいうべき比叡山に布施をしたことでもなかった。

 

大聖人が立宗の宣言をなされた時、権力者(地頭の東条景信)の襲撃から、大聖人をかばい、義浄房・浄顕房の2人が、ひそかに脱出の手伝いをした。このことを大聖人は「天下第一の奉公なり」と讃えて、「必ず成仏しますよ」とまで言われたのです。「報恩抄」の中でですから、事件の20年以上あとです。大聖人は、その時もなお、2人への感謝を忘れず、ここまで温かく励ましておられる。ありがたい御本仏です。

 

大聖人は他にも、自分を守護してくれた人に対して、「浄行菩薩が生まれ変わってこられたのでしょうか」 「教主釈尊があなたの身に入りかわって、助けてくださったのでしょうか」等と、つねに感謝し、讃えておられる。自分を守って当然だ、というような言い方はされていません。

 

「自分中心」であれば、人が支えてくれて当然という傲慢さが出てくる。しかし「法中心」であるゆえに、「法のために、ありがたいことだ」と感謝の心がわく。感謝と感謝で結ばれるのが、広宣流布の世界なのです。私も、一日に、何十回、否、何百回、「ありがとう」 「ありがとう」と言っているか、わからない。

 

斉藤 そういう美しい気持ちをなくした人間が、学会にいられなくなってしまうんだと思います。

 

須田 しかし、自分が「清らかな世界から脱落した」とは認めたくない。そこで自分を正当化するために、学会のほうが悪いように言う。これが、退転者、反逆者の心理でしょうか。

 

遠藤 しかし、こうして大聖人のお言葉を拝しますと、「諸天善神」と言っても、具体的な「人間」として現れていることが、よく分かります。諸天善神というと、なんとなく、目に見えない神秘的な力が働くようなイメージがありますが。

 

 

(中略)
広布の同志こそ最高に尊貴

池田 その通りです。なかんずく、学会の同志こそが、最も大切にし、感謝すべき諸天善神の働きをしてくださっていると言ってよい。大聖人も門下に対して、そういう意味のことを言われています。たとえば「法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとこ(男)となり或は女となり形をかへさまぎま(様様)に供養してたす(助)くべしと云う経文なり」(全1445㌻・新1722㌻)。

 

(中略)
ほかにも、たくさんあります。今で言えば、広宣流布を支え、広宣流布の団体・創価学会を支えてくださっている方々が、諸天善神です。諸菩薩です。如来の使いです。それを忘れて、何か同志以外の人だけを大切にし、同志を軽んじるような風潮が起こったならば、本末転倒です。学会員が大切なのです。学会員が最高に尊貴なのです。

 

世間の地位が何ですか。財産が何ですか。法華経に照らせば、広宣流布をしている学会員以上に尊貴な方々はないのです。何度でも私は、このことを言っておきます。私の遺言と思ってもらいたい。学会の同志を真心から大切にして、仕えた分だけ、広宣流布は進むのです。その熱い心の「かがり火」を消してしまったなら、もはや官僚主義であり、広宣流布の炎は消えてしまう。

 

(中略)
ともあれ、御本尊を大事にする人は、御本尊から大事にされる。三世十万の諸仏・諸天から大事にされる。鏡に、自分の姿勢そのままが映るようなものです。同じ意味で、妙法を広宣流布している人を大切に守れば、その人は、今度は御本尊から大切にされ、守られる。それが陀羅尼品で、釈尊が二聖・二天・善鬼に対し「善き哉(よきかな)、善き哉」(法華経 649㌻)<素晴らしい、素晴らしい>と讃えた心です。

 

学会を大事にする人は、御本尊から大事にされるのです。この一点さえ覚えておけば、人生は盤石です。

 

 

学会を大事にする人は、御本尊から大事にされる(イメージ画像)

 

 

 

 

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