ここで前掲リンクカードのサイトに掲載の、「創価新報」の記事から抜粋します。
■もともと、足軽会というグループは、彼らの組織人事への不満について学生部幹部に抗議したメンバーの集まりにすぎません。(中略)現在、彼らは"自分たちこそが学会精神を体現している""自分たちを処分した学会本部は間違っている"などと主張していますが、このこと自体、彼らが一貫して、学会の指導よりも彼らのグループの存在と結束を優先する独善的な考え方に基づく「組織内組織」であったことを表しています。
(中略)
■日蓮大聖人の仰せのままに、学会員が「異体同心の信心」を貫いてきたがゆえに、今日まで世界広宣流布は進んできたのです。戸田先生は、「どこまでも『異体同心』の精神がなければ、広宣流布はできない。『異体同心』の精神に背くならば、日蓮大聖人の教えに背くものである」と指導されています。
しかし、彼らは大聖人の仰せに反し、独善的な考え方に基づいた活動によって、異体同心の広布の組織を攪乱したのです。所詮、「破和合僧」をなした「師子身中の虫」──それが、彼ら足軽会なのです。
(創価新報2018年8月1日付)
"職員の適格性を欠く"と認定
■創価学会が、「(そのような彼らに対して)職場上長の指示に従わず、職員と協力し合おうとしないものと評価して、その職員として適格性を欠くものと判断したとしても当然というべき」と指摘。その上で、小平らに対する配転(配置転換)命令には、「将来に向けて原告らの更生を図る(さらに付言すれば、職場において一方的に原田会長や上長に対して面談を要求するという行為をやめさせて職場の秩序を維持する)という業務上の必要性」があったと認定した。
大義名分として学会指導を悪用
(中略)
■さらに、裁判所は、"自分たちは間違っていない"として、再監査要求を繰り返した小平ら自身にこそ問題があったことについて、次のように鋭く喝破している。
「(本部指導監査委員会の指導を)不公平な内容であると捉えてこれを受け入れることを拒んだ原告らの姿勢こそ、偏ったものといわざるを得ない」
学会から再三、指導・説得を受けても、「これを聞き入れず、自身らが反省を求められている問題を省みる姿勢を見せることなく、かえって、創価学会や池田名誉会長の指導等の一部を殊更に強調して、これを大義名分として、創価学会の将来のための重大な問題であるなどと論点をすり替え、自らにこそ正義があり、その正義を通すために行動せんとする姿勢に陶酔するかのごとく被告に抗(あらが)ったものである」
(中略)
■「(創価学会は)本部指導監査委員会の指導を含めた在り方に異議を唱える原告らに対して、平成21年(=2009年)10月末をもって、再度、明確に再監査をしない旨伝えた。原告らは、それにもかかわらず、引き続き、その理由を自分たちが納得するまで説明する機会を設けるよう、被告の幹部や職員等に対し、適切な手続を経ずに要請し続けたものである。
このような原告らの行為を客観的にみれば(中略)その場所・態様・回数・頻度からして、被告の本部指導監査委員会の指導に抗い続け、組織の規律を著しく乱し、職場環境を悪化させるものに当たることは明らか」であると、明確に認定したのである。
問題の根本を煙に巻こうとする詭弁
(中略)
■裁判所は、こうした彼らの主張についても厳しく指弾している。
「一連の事実経過からすれば、原告らの目的は、根本的かつ究極的には、本部指導監査委員会の指導を含めた在り方に異議を唱えて自らの理屈を通すこと、被告が原告らの要求に応じるまで自己の主張を述べ続けること、あるいは自らの言い分が通るまで被告に説明を求め続けることにあった」
「(元職員3人の主張は)原告らの行動が被告の幹部らに対して面談を求める直接行動を繰り返し続けるというまでにエスカレートしたという問題の根本を煙に巻こうとする詭弁というほかない」
所構わず執拗に面談を要求
(中略)
■しかし、配転後も、彼らは連携して、配転先から法人役員らの元を訪れ、事前の約束も取り付けることなく、所構わず、場も弁えずに、執拗に面談要求を繰り返した。学会指導に従わず、再監査を求めて面談要求を繰り返す小平らの言動が、職員としておよそふさわしくないことは明白であり、2011年10月、小平らに反省を促すため、譴責処分(始末書の提出)とした。
ところが、小平らは全く反省することなく、業務妨害の迷惑行為をエスカレート。その結果、小平、滝川、野口は、2012年10月、学会本部を懲戒解雇となったのである。
懲戒解雇の無効求めたが敗訴
■同年12月、彼らは懲戒解雇が無効であるとして裁判を提起。しかし、東京地裁は、彼らが法人役員らに対して10カ月余の間に2000回を超える架電(=電話をかけること)をしたことが、「執拗(しつよう)」であり、「それ自体度を超したもの」として、業務を著しく妨害したと判断し、懲戒解雇が有効であると判示。最高裁でも同判断は維持され、2015年10月、小平らの敗訴が確定している。
(創価新報2019年4月17日付)
【ひと言感想】
件(くだん)の人物には、創価学会を上から見おろしているような、傲慢な態度と、嫌な臭味を感じる。自分は何でも解っているとの自惚れ・思い上がりではないのか。その実、自分が代わって何一つできもせずに、注文・批判だけは立派である。「それだけ批判するなら、自分がやってみろ!」 と言いたい。
この人物の文章を読んでいると、ご立派な言葉は並べ立ててあるが、実際に何を成したのか、どんな実践をしているのかは、一つも伝わってこない。ただの口舌の徒ではないのか。現実には何ひとつ広布の責任を負わず、言葉だけ好き勝手なことを並べ立てているだけではないのか。
過去に懸命に戦った時期もあったのであろう。それゆえ、内部のことをある程度知っているのだろう。だが、現時点ではどうであろうか。あれだけ組織への文句を羅列している文章から見ると、現在は広布の実践を何一つ、素直には取り組んでいないのではないのか。あのような斜(しゃ)に構えた態度では、素直に実践しようとの力が出ようがないからである。
先生の指導を引用するに際しても、いかなる目的で引用しているのか、その者の「心根」をよく見ていかなければならない。どれだけ巧みに先生の指導を引いたとしても、自分を権威づけ、自己正当化に利用するだけの人間がいる。実際は、醜い本性を隠し、人目を欺こうとしている場合がある。上に抜粋した「足軽会」がその例である。そういう師子身中の虫に限って、先生の指導をねじ曲げた解釈を喧伝(けんでん)し、自己を飾ろうとするものである。
戸田先生は池田先生に、「追撃の手をゆるめるな!」と遺言された。学会に対し、「憂国の士」(ゆうこくのし)を気取った、「師子身中の虫」に騙されてはならない。

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