自己正当化の常套手段を見抜け ー10時間唱題(49)

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10時間唱題表。49回目。

 

池田先生のお誕生日1月2日に10時間を行ないました。合計49回目となります。足元の自身の課題・目標から、地球的問題群の解決や人類の宿命転換まで、今回も心ゆくまで祈ることができました。今年も最高のスタートをきることができました。では次に、先生の小説・新人間革命に基づく、原田会長の指導を抜粋します。

 

 

原田会長の指導 第4回本部幹部会・結成70周年記念青年部総会(2021年7月14日付)

 

異体同心の団結で連戦連勝を
(中略)これから私たちは、かつてない険難の峰を目指す以上、そこに、かつてない魔の烈風が待ち受けるのは必定であります。だからこそ今、私たちは、勝利のため、また、自分自身の一生成仏のために、改めて「団結」の重要性を確認し合っていきたい。先生は小説『新・人間革命』第30巻の〈上〉で、こうつづられています。

 

「活動を進めるうえで、いちばん心しなければならないのは、自分の意見が受け入れられないことで、失望感をいだいたり、感情的になって人を恨んだりしてしまうことです。それは、自分の信心を破るだけでなく、広宣流布を破壊する働きになっていく」と。そして、次のように結論されます。「今日は、将来のために、広宣流布をめざすうえでの、最第一の鉄則とは何かを、あえて言い残しておきます。それは、金剛不壊の異体同心の団結です」

 

このご指導は、今の私たち一人一人、そしてまた、未来永遠に連なる池田門下が受け継ぐべき、最重要の指針と拝すべきであります。さらにまた、先生は、退転・反逆の方程式を、こう喝破されています。

 

「自分中心になると、御書や学会指導に立ち返ることも、異体同心を第一義にすることもなくなってしまう。つまり、本来、仏法者の基本である、自身を見つめ、内省するという姿勢が失われていく。また、自分の心が“師”となってしまうから、自身を制御できず、その結果、我欲に翻弄され、名聞名利に走ったり、自分勝手なことをしたりする。そして、皆に迷惑をかけ、さまざまな不祥事を引き起こす。だから、誰からも信用されなくなり、清浄な学会の組織にいられなくなる――これが退転・反逆していく共通の構図といえます」という大事なご指導であります。

 

さらに、近年の反逆者らがさらす醜態を見れば、そうした「自分中心」の者は、組織運営上の方法論や諸課題、あるいは公明党の政策などへの賛否などを大義名分に利用して、己の後ろめたさを覆い隠し、自己正当化を図ろうとするのが常套手段であることも、皆さま、ご存じの通りであります。「広宣流布」「立正安国」は御本仏・日蓮大聖人の御遺命であり、その直系たる学会の三代会長が、不惜身命で実現してこられた悲願であります。私たちは峻厳なる師弟不二の精神に立ち、日々、慢心という内なる魔性を打ち砕きながら、いかなる障魔の嵐にも微動だにせず、勇んで、これを断行してまいりたい。

 


 

【ひと言感想】

退転・反逆の輩は、組織運営上の方法・課題への批判を振りかざして、学会攻撃に躍起になっている。それが彼らの常套手段であるとの指摘である。では一つ一つ、感じたことを述べてみたい。

 

広宣流布に三障四魔・三類の強敵は必然だ。妙法を弘める人に難が競うことは、法華経の経文に明確に記されている。「一人の犠牲者も出してはならない」との先生の指導は、先生が一切の矢面に立ち、ただお一人で難を受けきってきた、ということである。そうして死身弘法で会員を護ってこられたということである。

 

要は、リーダー自らが難を受け、会員を護りきっていく覚悟を持て、というご指導ではないのか。問われているのは、師に感謝し、師に続くことができる自身であるかどうかだ。

 

いかなるご指導も、「自ら実行する」ことこそが魂である。ひとり正義面して振りかざすための理想論で終わってはならない。まして、組織や幹部に「こうしてくれ」「ああしてくれ」と要求するだけの姿勢でいいはずがない。

 

組織や幹部に注文をつけたり批判を重ねることが、自分の福運・功徳に繋がるとは思えない。もしそうなら、組織に注文・批判すればするほど、福徳が積まれていくのか。断じてそんなことはない。もちろん疑問や意見があれば、率直に声を届けるべきである。ただし、リアルの現場で言うべきことであって、ネットで書くべきことではない。会員の率直な意見に、耳を貸さないような組織では、断じてないのだから。

 

人間によってできている組織であるから、様々な意見が衝突したり、いろいろな問題が無いほうが不思議である。これほどの多くの会員が、広宣流布という目的に向かって、異体同心で団結している姿こそ、一人ひとりの信心の偉大さの現れなのだ。

 

そもそも、自身に代わって組織や幹部が、境涯革命してくれるのか。当然、そんなことはない。どこまでも自身の「一人立つ」勇気ある実践によってこそ、人間革命・宿命転換が為されるのだ。また、信心の目的、学会の目的は、どこまでも広宣流布による自他の幸福の拡大である。その目的を進めている唯一の団体が、創価学会である。

 

「盲目的に組織に従っている」「感謝の言葉を並べているだけ」「役職によって人を動かすことは簡単だ」……こうした言葉が数多く見られる。(いちいちメモしていなかったので書かないが、この何倍も類似の言葉があった)このような言葉を軽々に使うこと自体が、真面目に戦っている学会員を馬鹿にし、侮辱しているのではないか。

 

ひと言であるはずが長くなってしまった。末尾に、健康についてひと言述べたい。自分はメンタルの持病がある。

 

長い間の、養生と題目・学会活動のお陰で、病に負けず仕事も続けて来ることができた。病自体もだいぶ良くなって来ている。普通ならこの持病からは考えられない程の、大功徳を受けてきた。そもそも、弘教を決めた直後に迫害を受け、競い起こった病魔である。この難から一歩も退かず、乗り越える戦いを通して、自己の生命を磨き鍛え抜いてくることができた。

 

振り返ってみて、自分の人生に一点の悔いもない。一方で、近しい人々には、心配をかけてしまった。多くの縁ある人々の支えや励ましがあればこそであり、深く感謝している。

 

100%健康であっても、その健康を、つまらない目的に浪費する人がいる。自分は多少の病はあっても、広宣流布という最高の目的のために、生きることができ、深い満足を感じている。何事も目に付いた表面的な部分だけを見ていては、真実は見えないものだ。「心こそ大切なれ」とある通り、信心の眼で見ることが肝要である。

 

 

 

 

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