少しずつ暑さが和らいできました。夏風邪だけは、長引くので要注意ですね。では、唱題についてのご指導を再掲します。

唱題行は、汲めども尽きぬ希望の源泉
曾谷殿御返事(輪陀王御書)より抜粋 ~勝利の経典「御書」に学ぶ 第7巻
唱題にあたって大事なことは、「ありのままの心」「素直な心」で祈っていくことです。悩んでいる時もある。苦しい時、悲しい時もある。そんな時は、子どもが母親の胸に飛び込むように、御本尊にそのままの命でぶつかっていけばいいのです。
よく戸田先生は、「形式ではない」と言われた。先生は「御本尊への本当の心でぶつかっていくのです」とも語られていました。唱題行は、大聖人の生命をわが身に現していく修行であるとして、「大聖人の御生命のこもった題目を」と指導されたこともあります。
たとえ悔やまれることがあっても、二度と繰り返さぬ決意をして、未来へ向かって新しい出発の唱題を、勝負を決する時は、断じて勝つと勇気凛々の力強い唱題を。三障四魔との戦いの時は、魔を断固、打ち破る師子王の如き唱題を。宿命転換の時は、断じて負けないとの不退の唱題を。喜びの時は、深い感謝の題目を――。
御書に仰せの通り、「苦楽共に思い合わせて」、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。わが生命を磨くには、唱題行しかありません。「題目第一」の人は、無明に曇った生命も磨き抜かれ、必ず法性の明鏡の生命となることができます。題目は生命練磨の作業です。ゆえに、「心こそ大切」なのです。
したがって、題目の功徳は、何遍唱えたかという数量で決まるものでは絶対にありません。「心ゆくまで唱える」ことこそが大事なのです。御書には、これだけの題目を唱えよなどと、唱えるべき量を定めた仰せはありません。祈りは、「心の固さ」であり、「信心の厚薄」であり、「志ざし」「一念」で決まります。
ただし、本人が心から決意して数の目標を定めることも信心の現れです。自分が決意した分だけ唱題する。そして、絶えず決意を深めていく。「日夜朝暮に懈(おこた)らず磨くべし」と仰せのように、たゆまず、唱題行を持続した人が勝利することは間違いありません。
自身の生命変革を忘れ、決定した一念のない〝おすがり〟や、逃避や臆病から、現実生活の努力や挑戦を放棄して、〝棚からぼた餅〟を望むような信仰は、仏法の本義から逸脱しています。唱題行は、わが生命を変革しゆく「人間革命」の修行です。どこまでも自身の一念を深め、諸天善神をも動かし、絶対勝利を実現する「誓願の題目」であってこそ、大聖人の仏法の唱題行となります。

2013年9月、地元の市民会館で。
「5・3」記念中部の各賞合同授賞式 1986.5.7「広布と人生を語る」第8巻
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」と仰せである。(中略)釈尊が仏に成るまでの無数の厳しき修行も、仏としての功徳も、すべて「妙法五字」すなわち三大秘法の「南無妙法蓮華経」に具足していると仰せである。
ゆえに私どもが御本尊を受持し、題目を唱えゆくとき、釈尊の、菩薩としてのたいへんな仏道修行、難行苦行も、仏にそなわる無量無辺の福徳と歓喜と幸福も、いっさいが自身のものとなり、今世において一生成仏していけるのである。これほど簡潔にしてすばらしき成仏への原理、ありがたき法理はない。
「教・弥(いよいよ)実なれば位・弥(いよいよ)下れり」とあるように、受持する法が偉大であればあるほど、機根が低く難行に耐えられない衆生をも広く救っていくことができる。大聖人の三大秘法の大法が無上道の法であるがゆえに、唱題行というもっとも簡単にして肝要の修行によって、一切衆生を成仏させゆく力があるのである。
この唱題行が、だれびとにも可能で、あまりにも簡単であるがゆえに、その深さがわからず、大聖人の仏法を軽蔑し、侮辱していく人がいる。また退転していく人がいる。まことにもったいないことであり、大いなる過ちである。
どうかいっさいの悩みは、病気であれ、生活苦であれ、人間関係であれ、また苦悩の人々を社会の最前線で救っていく弘教のうえでの悩みであれ、すべてが御本尊への唱題の行によって歓喜の因となっていくことを確信していただきたい。
妙法の力用によって、苦しみ悩みを、永遠にわたる歓喜と幸福の原因としていけるのである。ここに信心によって得られた、本有常住の生命の位があり、大我に染めぬかれた実像の幸福があるのである。
【ひと言感想】
「この唱題行が、だれびとにも可能で、あまりにも簡単であるがゆえに、その深さがわからず、大聖人の仏法を軽蔑し、侮辱していく人がいる。また退転していく人がいる。まことにもったいないことであり、大いなる過ちである」とありますように、唱題行がいかに重要であるかは、強調しても強調し過ぎるということはないと思います。
唱題は格好や時間といった形式ではなく、どこまでも「広布に戦う一念」で唱えることが大事です。また、「誓願の題目」と仰せです。誓願とは「本因妙」の実践とも言えるでしょう。一切の不信を打ち破ることです。それは、誰に言われたからでもない。広宣流布の行動を起こし、勝利の実証を示す戦いを、自ら「自発能動の心」で誓い願っていくのです。その一念が因となって、必ず目に見える勝利の結果として顕れるのです。自身も自らの立場で、「率先垂範」で戦い行動してまいります。


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