いろいろな意味で忙しい最近ですが、先日、2日がかりで10時間唱題を完遂しました。約50日振りに行なったことになります。
特に今回は、「策や方法ではない。腹を決めて、徹して祈ろう」という思いが強かったです。その決意に呼応するかのように、序盤で身近に、させまいとする魔が競ったのです。「今日は止めようか。また今度にしようか」との思いとの葛藤のなか、苦しい題目が続きました。
次第にその葛藤も薄れていき、次第に一念が定まっていきました。法戦の勝利はもちろん、私個人の課題、日本・世界のために祈りたいこと等、様々な祈念をすることができました。次の御義口伝の一節を自分らしく、多少なりとも身で読むことができたと思います。
一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々に起こるなり。
いわゆる南無妙法蓮華経は精進行なり。
(御義口伝1099㌻)
第23回本部幹部会、第7回婦人部幹部会(1998年6月16日。池田大作全集第89巻)
有名な日寛上人の仰せには、次のようにある。「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(「観心本尊抄文段」文段集443㌻)こう断言なされている。この大確信を忘れてはならない。
では、時として、祈りが叶わないように見えるのは、なぜなのか。それは、より祈りが深くなるように、また、より強い人間、より深い人生になれるように、そして、より深き福運をがっちりとつけるようにとの御仏智なのである。
何でも、ちょっと祈って、すぐに叶ったのでは、人間は堕落してしまう。これでは立派な人生が築けるわけがない。会社に働きに行っても、その日に給料がもらえるわけではない。木を植えても、すぐに大きくなるものではない。本当に深き祈りも、死にもの狂いの努力もなくして、簡単に祈りが叶ってしまえば、人間を堕落させるだけである。それでは偉大な人間をつくる仏法ではなく、人間を破壊する仏法になってしまう。
また、「叶う、叶わない」には、さまざまな要因がある。ゆえに、大切なことは、祈りは「叶うまで続ける」ことである。祈り続けることによって、自分を厳しく見つめることもできるし、地道な努力の軌道へと、生活を向上させることもできる。かりに具体的な結果がすぐには出ない場合でも、祈り続けた人は、何かのときに、祈り以上の結果が証明され、そしてまた、大きく守られていくのである。
たとえば仕事のことを祈ったとしても、それだけでなく、より広く、大きく、人生万般にわたって、幸福の方向へと軌道修正されていく。あとから振り返って、「これで良かったんだ」という所願満足の自分に、必ずなっていくのである。要するに、その人が本当に幸福になり、立派になるための祈りであれば、必ず叶う。すぐには結果が現れない場合でも、長い目で見れば、絶対に叶っていくのである。
新・人間革命 第10巻 言論城
(池田先生は、会長就任後5年間の大発展に触れて、次のように語りました)
この聖業を成し遂げた創価学会は、まさしく、仏の御金言通りの、信心を骨髄にし、慈悲を血管にした一大和合僧の、仏の生命体であります。
そして、鉄壁の団結をもって、民衆救済に進む、この姿、この力こそ、世界最高の、平和の不沈大戦艦であり、これを私は、”異体同心丸”と名づけたいのであります。
また、この世界広布の流れこそ、民族を超え、国境を超えて、いよいよ日蓮大聖人の大生命哲学が、東土(とうど)の日本より世界の大空に、太陽のごとく昇りゆく証明であると、強く、確信するものであります。
いわば、創価学会は日本の柱であるのみならず、世界の希望であり、太陽であり、21世紀を導きゆく先駆の光であると思いますが、いかがでしょうか!



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