先日、友人と唱題することができ、聖教が実り、1人目としてKパンフ等を渡すこともできました。弘教の成就目指して、さらに戦います。苦難はあっても、広布に戦えば歓喜が湧いてきます。学会に改めて感謝です。誠にありがとうございます。
さて今回の記事では、日蓮大聖人が破折された邪宗教の害毒と、その害毒から生じる生命の悪しき傾向性とについて、思いつくままに述べてみたいと思います。自分のこれまでの見聞や、御書や書物、自身や近しい知人等の性格・振る舞いから思索したものなので、異論もあるでしょうし、間違いもあるでしょう。もし、間違いがありましたら、ご指摘下さればありがたいです。
念仏無間
念仏の人は「頑固である」とよく聞きます。創価の仏法の話をなかなか素直に聞こうとしない。かといって何か立派なものにこだわっているかというと、そうでもない。案外、突き詰めていくとツマラナイこだわりだったりします。世間からの目を必要以上に気にしたり、法華経以外の方便に執着している。
結局、仏の最高の教えである法華経から「逃げよう」「捨てよう」との命が、強く出てくるのでしょう。それは念仏宗の教祖、すなわち善導や法然、親鸞といった人師が説いた邪説を、盲目的に信じてしまうことから生じる害毒なのです。大聖人が念仏の悪法を「一凶」と断じたのは、念仏が流布すればするほど、個々人の生命や社会全体に及ぼす害毒が甚大だからです。
その表れが、「現実逃避」と「権力との癒着(ゆちゃく)」であると思います。念仏は遥か彼方の、縁もゆかりもない架空の仏を渇仰させ、この現実世界有縁の釈尊・日蓮大聖人を捨てさせようとします。念仏により極楽に往生するとの邪義が、人々から生命力を奪い、現実変革をあきらめさせ、消極的な人生に堕してしまうのです。こうして、生きている間、苦悩が間断なく続く状態を大聖人は、「念仏無間(地獄)」と破折されたのです。
そしてこの現実逃避の害毒が、民衆を苦しめる悪しき権力と戦うどころか、権力に追随し取り入って己が安泰を図るという、悪しき傾向性として現れます。こうしたことから意外と、念仏の人は世渡りがうまい面があるというか、それなりの地位や財産を得る場合がよく見受けられます。しかし表面上はどうあれ、心は無間地獄でありますから、死の瞬間まで、本当の深い歓喜も充実も味わうことができません。捨てるべきは念仏であり、その上で、創価の法華経を実践しない限り、無間地獄は死後も永劫に続いていくのです。
禅天魔
禅宗の特徴は「我尊し(われ・たっとし)」の生命です。その振る舞いは「不知恩」として現れます。「教外別伝」「不立文字」などの邪義も、その根底は不知恩です。仏から受けた恩を踏みにじる行為です。「人にしてもらったことは決して忘れない」ということ、つまり、恩を知り、恩に報(むく)いていくことは、人の道の基本であり、仏法の最も大切な土台です。
しかし、現実には恩を仇で返す人間がいる、剰(あまつさ)え、己が不幸を逆恨みし(本当は自業自得にも関わらず)、反逆の弓を引く者さえいる。それが特徴的に現れるのが禅宗の害毒だと思います。表面は一応、謙虚を装いながら、人からしてもらったことに何の感謝の念も無い。やってくれて当然だと思っている節すらある。まして、厚かましくも人の善意に付け込んで、または慈悲魔となって、何かしてくれることを言外に要求してくる、質(たち)の悪さがある。
「教外別伝」も「不立文字」も、端的に言えば経文の否定です。禅宗では、仏の説いた経典は月を示す指のごとしといい、月を見た後はいらないという。それでは子どものためには親もいらない、弟子のためには師もいらない、草木のために大地もいらないという論法になってしまうではないか。仏法を破壊する者を天魔というのであるから、仏の教説を否定する禅宗を「禅天魔」と断じられたのである。
さらに禅宗は座禅などを組んで修行としているが、自身の愚かな心や弱く醜い心をいくら見つめても、何も悟れるはずがないのです。却(かえ)って何でも自分が正しいと思い込み、他人とうまくいかなくなったり、衝突するようになるだけです。自分の迷いの心を悟りと、勘違いしているに過ぎないのです。生命を変革するには、末法の正法である日蓮大聖人の仏法しかないことを知るべきです。
最後にダルマ(達磨)について言及します。七転び八起きは一種のことわざにもなっている面があるが、ダルマには手足がありません。先ほど述べたように、禅宗は自分の迷いの心を悟りと思うゆえに、調子の良い時は決断が早く、一見すると自信満々に見えます。しかし、自身の宿業など本当に行き詰まった時には、文字通り、手も足も出ない。したがって、いったん行き詰ると、とことん行き詰まり、不幸の坂を転げ落ちていきます。いかなる行き詰まりも宿業も、根底から打開する唯一の方途は創価の妙法しかないのです。
(「真言亡国」に続く)

不幸の根本原因は、謗法にこそある
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