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新・人間革命 第18巻「師子吼」の章

もし、学会に批判があるなら、ただ文句を言っているのではなく、君が自分で、理想的な学会をつくっていくことだ。私もそうしてきた。

自分は傍観者となり、ただ批判をしているだけでは、破壊ではないか。主体者となって立ち上がろうとしなければ、自分の成長も広宣流布の建設もない。同じ一生ならば、傍観者として生きるのではなく、広宣流布のために、学会と運命をともにしようと心を定め、力の限り戦い抜くことだ。そうでなければ、あとで悔やむことになる。

 

 

 

【ひと言感想】
かの人物には未だ挨拶もしておらず、人間関係もない段階で、多少、激しい言葉を度々使ってしまったと反省をしている。その上で、さらに感じていることを箇条書きにしてみたい。

 

  • この人物は、分析力はあっても、実行力がない。
  • 具体的にどうすればいいのか。結局、学会にどうしてほしいのか、がない。必要な、具体的行動にまで、落とし込んでいない。
  • すでにあるものへの「感謝」がない。現実に組織を支えている人たちへの、感謝も労いもない。先生ならどうされるかとの視点の欠落。
  • 理想の組織を追求していく不断の努力は大切である。その上で、創価学会のやり方に従えない。どうしても気に入らない、というなら、学会に無理にいてもらう必要はないのである。どこへでも自由に行って、自分の理想の組織とやらをつくればいいのである。
  • 足軽会のメンバーまたは関係者でないのか、との疑義を呈したことに対して、未だ否定も肯定もしていないのはなぜか。
  • 現在、学会員なのかどうか。足軽会のメンバーまたは関係者でないのか。明確に返答しないのはなぜか。
  • 組織の現状や問題・課題等を分析・批判する「能力」は、一目置くべき所があるとは思う。だが、それらの言動が、一体何を「目的」としているのかは、厳しく見極めていく必要がある。「承認欲求」といった個人的なものなのか。または、純粋に広宣流布のためなのか、あるいは学会の攪乱が目的なのかは、厳しく峻別する必要がある。
  • と言っても以上は、信心の上での受けとめであり、ブログ村自体にカテゴリはあるものの、様々な人が出入りする場である。ゆえに一利用者として、何かを強制したりはできないことは重々承知している。

 

今回は以上である。もし、行き過ぎた物言いや、失礼な部分があれば、お詫びしたい。

 

 

 

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