人間革命第10巻[第2版] 跳躍の章 聖教ワイド文庫
(p218~ 戸田先生の指導)
「日蓮大聖人の遺された御本尊の功力によって、私たちは、金のない人は金ができ、体の弱い人は丈夫になります。私たちの願いは、このような相対的な幸福を願っていながら、将来は、絶対的幸福境涯に入るんです。
絶対的幸福など、あなた方は願っていない。願っていないのに、あなた方は、そうならなければならない。まことに、いやでしょうけれども、絶対的幸福というのは、どこにいても生きがいを感ずる境涯。どこにいてもですよ、どこにおっても生きている自体が楽しい。したがって、その人のいるところは、いつも明るい。喧嘩などありません。腹の立つことがあっても、愉快に腹が立つ――そういう境涯になったら嬉しくありませんか。早く、予想もしなかった絶対的幸福を、一人ひとりが得られんことを希望して、私の講演を終わります」
(p224~)
弘教の歓喜は、会員はもちろん、参加者全員をつつみ、皆が感動の涙で手を取り合ったのである。だが、一部の会員のなかには、もともと仕事が不調であったせいもあるが、仕事で努力するよりも、活動にさえ励んでいれば、生活も楽になるかのように錯覚している人もいた。道理に合わない、生活の基盤を全く無視した行き方である。伸一は、そうした人たちを見かけると、その誤った信心の姿勢を突き、叱咤した。
「私は、仕事をしない人は絶対に信用しません。日蓮大聖人の仏法に照らしても、信用してはならないことは明白です。仕事に憂【うれ】いがあるようでは、思いきった戦いができるはずもありません。本当の信心は、そんな甘いものではない。『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(新版1346㌻)です。また、『御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ』(御書1295㌻)とも言われ、厳しく戒められています。
”信心で飛び回っていれば、なんとかなるだろう”という考えは、大聖人の仏法ではありません。今は苦しくても、歯を食いしばって、仕事にも信心にも頑張る時です。『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』(新版1696㌻)――大丈夫です。御本尊は、すべてをご存知です。今は、いつまでも冬が続くように思っているでしょうが、決してそんなことはない。間もなく必ず春が来ます。今は、頑張る時です。しっかりやりましょう」 伸一の熱情こめた指導に、「信心即生活」の自覚を新たにした人たちは、見る見る血色を蘇らせ、奮起するのであった。

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若き日の日記から 大白蓮華2025-2
社会は、遊技場ではない。
いかなる、社会でも、時代でも、耐え尽くせる、自己を作ろう。
以上、アーカイブの再掲載・他です。当然ですが、信心は趣味や道楽でするものではありません。また、極悪坊主に供養を搾り取られる「寺信心」は、堕地獄の因とはなっても、決して功徳とはなりません。供養の対象が間違っているので、供養すればするほど不幸になるのです。
「信心即生活」の学会指導どおり、わが全存在、わが生命を懸けて実践し、職場・家庭・社会で勝利していくのが、本当の力ある信仰です。現実の仕事は地味であり、拍手喝采も檜舞台も無いでしょう。心身ともに疲弊することもあるでしょう。厳しき「人間修業」の場であるとともに、「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」(新版1719㌻)とある如く、「仏道修行」の場でもあります。しかし、その誠実な姿を見ていてくれる人は、必ずどこかにいます。ましてや、御本尊が見逃す訳がありません。
また、仕事で勝ってこそ、自身の人生設計を描くことができます。そして広宣流布にはお金がかかります。広布のため、縦横無尽に打って出て戦うにも、仕事の勝利は必須条件です。改めて、原点に返って「信心即生活」を実践し勝利してまいります。

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