名聞名利の心を昇華する妙法

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また10時間の唱題に挑戦中です。途中、急な来客があったものですから、今日は7時間しか出来ず、続きは明日です。この記事では、実証を示すことと名聞名利の関係について、考察してみます。

 

通途の仏法では、「名聞名利」といって世間的名声・利益・財産に執着する生き方は儚(はかな)く永続性がないと見ます。名聞名利に囚われ仏道修行を怠ってはならないとの戒めは、大聖人の次の御文に見られます。

 

(主師親御書320㌻)

我ら衆生、無始曠劫(むしこうごう)より已来(このかた)、妙法蓮華経の如意宝珠を片時も相離れざれども、無明の酒にたぼらかされて、衣の裏にかけたりとしらずして、少なきを得て足りぬと思いぬ。南無妙法蓮華経とだに唱え奉りたらましかば速やかに仏に成るべかりし衆生どもの、五戒十善等のわずかなる戒をもって、あるいは天に生まれて大梵天・帝釈の身と成っていみじきことと思い、ある時は人に生まれて諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成って、これ程のたのしみなしと思い、少なきを得て足りぬと思い、悦びあえり。これを仏は、「夢の中のさかえ、まぼろしのたのしみなり。ただ法華経を持ち奉り、速やかに仏になるべし」と説き給えり。

 

また次の「種々御振舞御書」に仰せの通り、佐渡に流された日蓮大聖人の峻厳なお姿には、名聞名利などはまったく無縁でした。

 

(種々御振舞御書1234㌻)

同十月十日に依智を立って、同十月二十八日に佐渡国へ著きぬ。十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ、塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のように死人を捨つる所に、一間四面なる堂の、仏もなし。上はいたまあわず、四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆることなし。かかる所にしきがわ打ちしき、蓑(みの)うちきて、夜をあかし、日をくらす。夜は雪・雹(ひょう)・雷電ひまなし。昼は日の光もささせ給わず。心細かるべきすまいなり。彼の李陵が胡国に入ってがんくつにせめられし、法道三蔵の徽宗皇帝(きそうこうてい)にせめられて面にかなやきをさされて江南にはなたれしも、只今とおぼゆ。

あらうれしや。檀王は阿私仙人にせめられて、法華経の功徳を得給いき。不軽菩薩は上慢の比丘等の杖にあたりて、一乗の行者といわれ給う。今、日蓮は、末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあえり。仏滅度して後二千二百余年が間、恐らくは天台智者大師も「一切世間に怨多くして信じ難し」の経文をば行じ給わず。「しばしば擯出せられん」の明文は、ただ日蓮一人なり。「一句一偈、我は皆ために授記す」は我なり。阿耨多羅三藐三菩提は疑いなし。

(中略)
かくてすごすほどに、庭には雪つもりて人もかよわず、堂にはあらき風より外はおとずるるものなし。眼には止観・法華をさらし、口には南無妙法蓮華経と唱え、夜は月・星に向かい奉って諸宗の違目と法華経の深義を談ずるほどに、年もかえりぬ。

 

 

そのうえで大聖人は次の御文で、妙法を根本にした時、名聞名利を活かす生き方となることをご指南されます。私たちは在家であり、現実社会に生きているのですから、現実に功徳の実証を示すことによってこそ、御本尊の力を示すことができるのです。(現代は出家僧が堕落を極め仏法破壊を企てた者まで現れました。それゆえ、学会員が在家でありながら、広布と令法久住という役割をも果たしています)

 

だが、現実社会は厳しい。弱肉強食の世界でもある。その社会で妙法の旗を掲げ、勝利の実証を示すことは死闘です。生半可な姿勢では勝てません。だからこそ、真剣な信仰実践の功徳が仕事や生活に厳然と顕われた時、人々に動執生疑を起こし、やがて学会への納得と共感に変えていく手立てとすることができる。

 

 

(持妙法華問答抄518㌻)

寂光の都ならずば、いずくも皆苦なるべし。本覚の栖(すみか)を離れて、何事か楽しみなるべき。

願わくは、「現世安穏、後生善処」の妙法を持つのみこそ、ただ今生の名聞、後世の弄引なるべけれ。すべからく、心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき。

 

(法蓮抄1419㌻)

これをもってこれを思うに、現在に眼前の証拠あらんずる人この経を説かん時は、信ずる人もありやせん。

 

末尾にもう一点触れておくべきことがあります。それは次の御文です。

 

(崇峻天皇御書1596㌻)

蔵の財よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり。この御文を御覧あらんよりは、心の財をつませ給うべし。

 

(四条金吾殿御返事1583㌻)

一生はゆめの上、明日をごせず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず。されば、同じくはなげきたるけしきなくて、この状にかきたるがごとく、すこしもへつらわず振る舞い仰せあるべし。中々へつらうならば、あしかりなん。

たとい所領をめされ追い出だし給うとも、十羅刹女の御計らいにてぞあるらんとふかくたのませ給うべし。日蓮は、ながされずしてかまくらにだにもありしかば、有りしいくさに一定打ち殺されなん。これもまた、御内にてはあしかりぬべければ、釈迦仏の御計らいにてやあるらん。

 

 

心の財第一と言われています。究極は経済的財でも身に着けた能力等でもない。先生のご指導に『心の財』とは、生命の強さ、輝きであり、人間性の豊かさである。さらに、三世永遠にわたって、崩れることのない福運ともいえよう。その『心の財』は、仏道修行によって得られるのであるとあります。要するに、唱題と学会活動で磨き鍛え抜かれた仏の生命が、心の財です。それは、現実の社会で勝ち抜いていける生命の力、人間力、人格の力です。

 

そして、心の財は例え外面はいったんは、乞食ともいうべき境遇になったとしても、信心さえ破られなければ、いくらでもそこから蘇生し大逆転の実証を勝ち取ることが可能なのです。我々凡夫は目先の損得しか見えません。大聖人は佐渡に流されていて鎌倉にいなかったからこそ、二月騒動の戦で殺されずにすんだのである、と仰せです。

 

いかなる難が起きても信心で乗り越えれば、最後は美であり利であり善である人生に必ずなるのです。幸せで困るという境涯に必ずなります。強盛な信心さえあれば最後は勝つに決まっているのです。

(R5.10.19加筆修正しました)

 


コメント

  1. ラン より:

    レオさん、おはようございます(^^)/10時間唱題への挑戦、お疲れ様です(^^凄いですね!
    私は今、折伏に挑戦中です。先日、その友人と初めて御本尊の前で一緒にお題目を唱えることができました。

    レオさんが記事で仰せのように「さすが学会員だね」と社会で実証をしめす事は、とても大事だと思います。これからも日々、人間革命に挑戦して「心の財」をつんでいきます。

  2. レオ より:

    ランさん、こんばんは。折伏している友人と一緒に題目を唱えることができたのですね。無限の福徳を開く貴重な一歩ですね。ランさんへの信頼あってこそであり、素晴らしいです\(^o^)/

    自分も先日、沢山持っている任用教材の1冊を友人に渡すことができました。また、今月の座談会は2桁を優に超える壮年・男子を結集・対話することができました。

    実証は確かに大変ですが、どれだけ凄い実証を示したとしても、最後の決め手は紹介者との信頼関係であり、人間性ですね。これよりは、決意も深く一段と生命を磨いていきます。

  3. kaisen より:

    レオさん、こんにちは。
    私、功徳、いただきました!
    双極性障害になってから、増えることはあっても減らすことができなかった、薬を減薬できました!
    10種類あるうちのの1つですが、少しでも前進できたのが嬉しいです。
    感謝のお題目をあげています。
    一歩一歩ゆっくりですけど前進して行きます!

  4. レオ より:

    kaisenさん、こんばんは。
    素晴らしいですね、減薬できて感謝のお題目。
    着実な前進ですね。
    これもkaisenさんの日頃の戦いの実証ですね。
    自分も改めて「こうなりました」と言える結果を勝ちとれるよう、精進していきます!