学生時代 ー人生の棚卸(1)

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私事ですが、4月11日に通算30回目の10時間を完遂しました。毎日3時間の唱題も欠かさず持続しています。過去最高記録の唱題ゆえか、風当たりがだいぶ強いです。己心や環境に魔の働きが競っていますが、賢者は喜びの信心で勝利していきます。さて本題です。

 

恥を覚悟で自身の職業人生を振り返ってみて、1つ1つの経験に意義付けを与える。さらにその過程で、今後の人生の指針も得られないかとの試みです。それらが読者の方に何らかの共感や啓発、励ましを与えることができれば望外の喜びです。それでは就職以前の学生時代のアルバイトから、書き起こしましょう。

 

とは言ってももう40年以上も前の事であり、記憶は靄(もや)がかかったように定かでない部分も多いです。報酬を得てアルバイトをしたのは何が最初だったろうか。当時コンビニというものが出店を始めた頃であり、隣町に開店したばかりのセブンイレブンに、夕方から数時間アルバイトを始めました。たしか地元市では第1号のコンビニ店だったと記憶しています。

 

まだハイティーン(十代後半)ということもあり、もっぱらレジ打ちが主体で、バックヤードや納品・検品・掃除等の裏方は一切することは無かった。この頃、同じ町内で母親が「ふるさと」という居酒屋を経営していたこともあり、セブンイレブン店長と知り合いだったようでバイトの話を頂いたのである。

 

現在の外見からは想像するも困難であるが、自分で言うのも何だが、これでも昔は紅顔の美少年だった。自分で日に何時間と走ったり体を鍛えていたので、ほとんど贅肉(ぜいにく)が付いておらず、ブルース・リーのような身体だったのです。自分がいたことにより客が増えて店の売上に貢献したかは、はっきりしたことは分からない(笑) 仮にその程度の変動はあったとしても微々たるものであろう。

 

記念すべき初の就労は数ヵ月と短いものでした。給与の安さが理由でした。次にバイトで勤めたのは、まったく異なる職場でした。私の住む市は世界有数の掘り込み港がありますが、その埠頭(ふとう)での原木の荷下ろしの作業でした。太いものだと直系1メートルを優に超え、長さは4~5メートルほどに伐(き)られています。重さはトンを超えると思います。

 

※次の2枚の画像では目の部分をボカシています。

信心を復活する前(昭和59年8月)

信心を復活した直後(昭和60年。中央が筆者)

 

その原木を鉄製の頑丈な台に、大型重機が次々に載せていきます。何本かの原木が台に積まれると、人間が素早く、原木の塊の2ヵ所に太いワイヤーをぐるりと回し、大型クレーン車の大きなフックに懸けます。その一連のワイヤーの作業は2人でものの1分ほどで完了しなければなりません。その鉄製の台が埠頭のコンクリ・ヤードの上であちこちに置かれて、重機・クレーン・人間が入り乱れて作業が続きます。

 

重機はものすごいスピードで前進・バックを繰り返しており、扱う原木もかなりの重量物ですから、一瞬の不注意が大事故につながります。事実、かなり後の事ですが、この重機に轢(ひ)かれてしまい、見るも無残に下半身が潰れて亡くなった事故も耳にしました。ところが、身体を鍛えており、未だ若く怖いもの知らずでもあった自分は、本当の仕事の意味も分からないのに、見よう見まねで二日目から、ワイヤー・玉掛け作業を敏捷(びんしょう)にこなしていたのです。今にして思えば、よくもあんな無鉄砲なことが出来たものだと、我ながら呆れるばかりです。

 

そして三日目に驚くことが起きました。昼休み、飯場(はんば=作業員の休息所)から全ての作業員が車に載って帰ってしまったのです。広い作業ヤードの真ん中に大型クレーン車1台だけを置き、自分ともう一人の若い作業員と2人だけが、そこに取り残されたのです。その若者は自分と同じ位の年齢でしょうか、背丈は自分より大きく、引き締まった頑丈な身体に見えます。この不思議な事態について語りかけようとしたのですが、妙に表情が硬いのです。

 

次の瞬間、その若者が私の顔面をいきなり拳で殴ってきたのです。とっさに事態を察知した私は、相手に組み付いていきしばらく揉み合いました。こちらから殴りはしませんでしたが、全力で相手の両腕両足を抑えたので、相手は激しく振り解(ほど)こうとしますがそれ以上殴ってくることもできず、同じ態勢が数分間続いたでしょうか。お互いの息は荒いままです。やがて勝算無しと見たのか、相手は力を抜き一言、「おまえ、力、強いな」と言って離れていきました。

 

この出来事により結局辞めることになったのですが、後で思ったことは、自分も真剣さは劣るものではないが、あくまでアルバイトであり腰掛であった。それに対しあの若者は、それ相応の覚悟を持って長期勤めるのだろう。それを自分は先輩・後輩の分も弁えずに、見よう見まねで出過ぎた真似をしてしまった。職場全体から見ればそうした安全面・教育面の狙いがあったのかどうかは、直接聞いてはいないので不明です。しかし、いかなる理由があろうと、暴力が正当化されるものではない。荒っぽい「男の」現場仕事での出来事は40年経った今も鮮明です。ちなみにこの頃は、信心は10年ほど休眠中で、復活には昭和60年7月まで待たねばなりませんでした。

(つづく)

 

 

 


コメント

  1. ラン より:

    レオさん、おはようございます(*^▽^*)30回目の10時間唱題お疲れ様でした。

    体験ありがとうございます!
    いきなり顔面を拳で殴られるなんて恐怖です(◎_◎;)
    いろんな人がいますね

    先日、恐怖体験をしたので(詳しくは『大魔をよせつけてはならぬ』の記事に載せています)、防犯対策をきちんとしないといけないなと痛感しました。

    • レオ より:

      ランさん、こんばんは(^O^)/ 無抵抗ではどうなるか分からなかったので、こちらも必死でした。

      60年人間をやってくると、その他にも何度か暴力を受けたことがあります。信心で守られて軽く済んでいます。暴力にうったえるのは絶対に間違いですね。

      『大魔をよせつけてはならぬ』の記事の注意喚起、肝に銘じます。警察に成りすますとは悪質も極まれりですね。ランさんの記事は対応方法を具体的・明解に教えてくれていて大変に参考になります。魔を寄せ付けない気迫ある声・挨拶も大事ですね。いつもありがとうございます。