五つの願い -祈りが完璧に叶った時(2)

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五つの願い

入院した病院は、北海道の元ドクター部長で医学博士でもあるS院長の評判を聞きつけて、日本全国から、時にはカナダやアジア諸国などからも患者が来ていました。また、元ドクター部長が院長ということもあって、学会員の患者も多く、各病室に患者の御本尊を御安置でき勤行・唱題が出来ました。毎月の座談会や御書講義も、院長先生を担当幹部として行われていました。学会の信心・唱題を最も効果のある治療法として採用していたのだと思います。

 

この病院で自分は1度再入院がありトータルで1年間入院しました。再入院の時は悪化して倒れ、早急に適切な治療を受けないと、確実に死に至る恐れがありましたが、母の10時間題目、家族や地域同志の祈りによって、一命をとりとめました。1~2週間で元気を取り戻した私は、今度は少しずつ唱題に挑戦しました。この頃、池田先生の『御義口伝講義』文庫版全巻を取り寄せて読み始めました。先生の迸(ほとばし)るような大確信の講義に、信心と学会の本当の力に、改めて奥底から目が開かれ驚嘆の連続でした。

 

その中で一日一万遍(200分)の唱題を決意した私は、題目の声が聞こえるとその部屋へ行っては唱題、時間さえあれば唱題しました。結局、退院1ヶ月前から毎日3時間20分の唱題を6ヶ月ほどやり切りました。その時に、鉄格子のはまった病院で必死に祈っていたことは、次の5つでした。

 

1.退院と就職。

2.人材グループの牙城会になる。

3.創価大学の通信教育を始める。

4.池田先生にお会いする。

5.地区幹部という一段大きな広布の責任を担いたい。

 

数年を必要としましたが、それらの願いを完璧に叶えることができたのです。最初、いくつかの肉体労働のアルバイトを経験したあと、専任講師として地元の歴史ある学習塾に就職でき、そこでノウハウを覚え、独立し20年子供の教育に携わりました。コンピューターの技術も、兼業で始めたサポート業、ホームページ制作業として20年にわたり生かせています。

 

神奈川では創価班、牙城会ともに面接不合格でしたが、北海道に帰郷し退院後、牙城会を12年間休むことなく無事故で着任し、少年部支部責も10年間務めました。創大通教は1998年に卒業でき、池田先生に2回お会いすることができました。地区幹部にという願いも、12年ほど副地区リーダーとしてみっちり務めさせて頂きました。

 

当時、祈りの内容とは余りにもかけ離れた入院という制限され切った環境にありました。世界的エリート会社員から、鉄格子で隔離された精神病患者への転落でした。地位や肩書、世間的な希望・目標、お金も何もかも失い、御本尊だけを抱きしめての入院でした。文字通り、御本尊以外に何もない境遇となりましたが、信心の火種は消しませんでした。ある意味、この人里離れた病室の一隅が、自身の生涯を賭けた反転攻勢の始まりとなったのです。

(つづく)

 

 

どんなに深い闇であっても太陽は厳然と昇る

 

 

 


コメント

  1. ラン より:

    レオさん、おはようございます(^^♪

    体験談素晴らしいです!感動しました。
    入院先が医学博士でもある元ドクター部長が院長で、御本尊の御安置が可能で自由に勤行唱題が出来て、学会員の患者さんも多く、毎月の座談会、御書講義が院長先生が担当幹部として行われている環境、本当に守られたとしかいいようがないと思います。

    再入院の時の命にも及ぶ、貴重な体験もありがとうございます。お母様の10時間唱題、同志の皆様のお題目、そして何より折伏を決めるなど、それまでのレオさんの信心に守られたんだと思います。

    牙城会でも使命を果たされたんですね。
    一日一万遍の唱題の持続で、全ての願いをかなえられて、凄いです!
    お題目の功力は、はかりしれません。
    どんなに絶望の底にいようとも、御本尊を離さずに生きていけば、
    必ず変毒為薬できるんですね。

    人生は、まさしく「劇」だと思います。
    続きを楽しみにしています。ありがとうございます。

  2. レオ より:

    ランさん深いご理解ありがとうございます。少しでも感動して頂けたなら嬉しいです。文章が少し長くなり過ぎたかなと反省しています。どれも削るに削れない感じでして。

    いずれにしても、やっと書き上げることができました。これを好機に、先生をわが身で宣揚していけるよう、精進していきます。返信に時間を要したことお詫びします。