学は光 -祈りが完璧に叶った時(3)

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学は光

師匠に何回、会ったとか、そばにいるとか、幹部だとか、それは形式です。たとえ師匠から離れた地にいようとも、直接話したことがなくても、自分が弟子の「自覚」をもって、「師匠の言う通りに実行するのだ」と戦っていれば、それが師弟相対です。根幹は、師匠対自分です。組織の機構や役職等は方便です。(『法華経の智慧』第22章嘱累品)

 

師匠のお側にいながら反逆した人間もいました。私利私欲のために先生を利用するだけの人間もいます。どこまでも、自分を中心とするのでなく、師匠のお心はどこにあるのかを求め抜き、そのご指導通りに実行することが肝要です。

 

I会社に勤めていた頃から、「先生にお会いしたい」と明確に祈りに入れるようになっていました。その後、大病も経験しました。必死の題目でご仏智を頂いたのでしょう、創大通教を卒業すれば先生にお会い出来るとの道筋が見えてきたのです。

 

しかし働きながら学ぶということは、想像以上に大変でした。持病も完治していない中、仕事・男子部の活動・通教と両立ならぬ三立への挑戦でした。未来部の支部責任者、牙城会も担っていましたから、実際は「五立」に悪戦苦闘したのです。通教一つとっても、本気で卒業を目指すとなると、やることは山ほどあります。

 

1) 教科書を読み込む
2) 図書館に通い書籍を借りて読む
3) レポートを書く(このレポート数が驚くほど多い)
4) 教科ごとに試験を受けに行く(主に札幌)
5) 地方スクーリング(主に札幌)
6) 東京の創大にて夏期(秋期)スクーリング
7) 光友会の総会等への参加(地元や札幌へ。光友会=通教学生の組織)
8) 学校教員を目指す教職生は、教職生大会や諸会合がある
9) 出身学校にて教育実習(無給で1カ月間)
10) 教員採用試験への対策・勉強
11) 同上、二次試験(面接、ピアノ、水泳、ジグザグ・ドリブル)の練習、等々…

 

今にして思えば、通教にしてもその他、仕事や活動等も全て、よくやりきれたものだと不思議な位です。家族の支えや、同志、職場の上司・同僚等の理解があればこそであり、心より感謝しています。苦労とともに喜びがあり、本当に充実した日々でした。自分らしい最高の青春時代だったと思います。

 

ある日、地元の光友会総会で、通教を卒業し活躍している先輩が、「レオ君、100人の友達をつくったら卒業できるよ」とアドバイスしてくれました。そこでスクーリングで創大に滞在中、授業の合間や休息時間、宿泊先の滝山寮でも、会う人ごとに気さくに声をかけ歓談、連絡先を交換し1人1人とデジカメで記念撮影もしました。こうして、より一層真剣な題目を根本に、晴れて卒業の決定を勝ち取ったのです。その時自分は34歳となっていました。

(つづく)

 

 

創大通教・夏期スクーリング記念 1995年8月(池田記念講堂前)筆者は左から3人目。

 

 

 

 

 

 


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