70項目の祈りが叶った

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御祈念項目をノートに書き始めて約16年になります。題して『欲しいものリスト』です。最初は高価とは言えない物品から始め、物に限らず生活のことや仕事の目標、広布の節目の戦い、自分としては物凄いスケールの御祈念まで、16年間でその数170項目に達しました。

現在16年間で叶った項目はその内70個です。期間の前半8年間に限ってみると叶った率が高く、72項目中の52個が祈りが叶いました。パーセントにしてみると72%となります。

叶った内容としては、初の海外旅行(モスクワへの旅行)、30台で初めて彼女ができたこと、公営住宅に当選し入居、願った条件通りの車を購入、パソコンを合計4台買い換えたこと、25年間の悪癖を打ち破って禁煙し6年目に入ったこと、等々です。叶った時は確かに嬉しかったですが、この年になって振り返ってみると、境涯として次元の低さが露呈しているようです。

後半はなかなか簡単には実現し難いであろう、時間がかかる項目が増えてきたため、成就率が下がってきていると考えられます。あるいは自分の知らず知らずの信心の惰性であったとしたら、反省が必要かもしれません。

この御祈念ノートの書き方のルールは、次のようなものです。

1.どんな些細なことから壮大なスケールのことまで、自分が欲しいもの叶えたいことを何でも書いてよいです。人を害するような悪いこと以外は何でもOKです。

2.書き方は、まず記入年月日を書いて、叶えたいことを箇条書きに記します。いっぺんに多量に書くよりは、その時その時に欲しいなと強く思ったことを、書き加えていくとよいでしょう。

3.私の場合は、このノートを見ながら唱題して祈念するということは、特にしていません。ただ書いておくだけ、というのが手軽に続けられてよいのではと考えています。

4.定期的にノートを見直してみて、叶った項目があれば、横線でその項目を消します。叶った日付も記しておきます。

御書(道妙禅門御書p.1242)に祈りは「冥祈顕応」「冥祈冥応」であったとしても、すなわちハッキリとした祈りである「顕祈」でなくとも、信心に励めば現在・未来の祈りはすべて叶うと仰せです。その前提の上で、全力で努力を注ぐという意味と、自分の到達点へ心を定めるとの意味でも、また惰性を防ぐためにも、「何を、いつまで、どうするか」を具体的に決めて祈ることは大事です。

一念も新たに、先生と学会を宣揚できる自分になれるよう、いよいよ実証を示そう、功徳の体験を積もう、との決心で前進していきます。
(平成28.2.2加筆しました)

 

 

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コメント

  1. トン より:

    すごいためになります、
    「記入年月日を書く」という事は思いもよりませんでした。

    • Leo2014 より:

      トンさんこんばんは。トンさんてあの方かな? と思い当たる人を想像しています。

      記入年月日に目をつけて頂きましたか。そうです、これを書くことによって、成就日までにかかった日数も分かりますし、祈念項目を管理もしやすくなると思います。

      何より、学会員として祈って実践していれば、余り自覚はないですが、着実に1つ1つ祈りは叶っていっています。人間の欲望には際限が無い、それはつまり飽くなき向上心があることなのですが、また、叶ったことを1つ1つ意識に留めていないことも原因ですが、キチンと振り返ってみると、かなりの祈りが成就していることが分かります。

      我々はついつい大きな祈りに目が向きがちで、叶うまで時間がかかることに不満を持ちがちですが、小さくとも叶ったこと1つ1つにキチンと目を向ければ、着実にたくさんのことが叶っていることが見てとれます。また、そうした振り返りをしっかり行なうことで、大きな目標へも確信を持って取り組んでいくことができます。

      原因と結果が同時に具わる(種のなかに幹も葉も実も花も果実も全て具わる)という意味で南無妙法蓮華経は「因果倶時」なのですが、一朝一夕に種が大樹に育たないのと同じように、祈りの成就までは時間がかかります。その意味では、「因果異時」なのです。ですから途中の「信心」の持続、すなわち不退転の信心が大事なのですね。長文の返信になりスミマセン。

  2. トン より:

    返信ありがとうございます、

    返信文を読み、さらに、アッ、と思いました。

    河合師範(今は副会長?)先生は「期限を決めて祈りなさい」
    戸田先生は「期限を決めるのはよくありません」

    どうしたら良いのか、迷っていましたが、

    >>これを書くことによって、成就日までにかかった日数も分かりますし、

    ああー、なるほど、と思いました。
    ちなみに、鯖さんから、東空(トンクウ)さんと呼ばれて(ネットで)いたので、そのトンです。

  3. Leo2014 より:

    やはり、東空さんでしたか、お久し振りです。鯖板いらいですね。調子はどうですか。

    戸田第2代会長が、期限を決めてはいけない、と言われたのは、真剣な実践もせずに、自分の勝手な都合だけでこの日までにと、御本尊に安易に功徳をねだる信心を、戒められたのでしょうね。自己の信・行が弱いが故なのですが、不信に陥らないように、との指導と考えられます。

    要は、自己満足のためだけの祈りは叶わないが、広布のための祈りは必ず叶います。それにつけても「何のため」との問いを、常に自らに発し続ける姿勢が大事ですね。生活・人生の1つ1つの勝利を、広布の前進のためにと、具体的に結び付けて祈ることです。そして今日一日、現実に自分がどういう広布の戦いを起こしていくのか、との「誓願」の祈りからスタートすべきなのですね。気付きの機会を頂き有難うございます。

  4. まみ より:

    はじめまして、アンチのサイトが多くてマトモな学会サイトに辿り着けて嬉しいです!宜しくお願いします…
    私は、自分から信心始めたので確信が弱く何かあればすぐ挫けてしまいます…信心31年目の今年1月に、脳梗塞になり1ヶ月ほどで退院出来ました。生命が護られたことに感謝です後遺症も左手指先が不自由なだけですが、普通に使えるようになりたいです、脳梗塞を乗り越えられた方の体験とかあれば聞きたいです

  5. Leo2014 より:

    まみさん、はじめまして。夢の醸造所へようこそ。夏風邪をこじらせ、返信が大変遅れました。申し訳ありません。

    信心31年目に大病になられたのですね。しかも1カ月で退院され、後遺症もほとんど無いとのこと。御本尊様に護られましたね。その闘病体験については、思い当たる人は身近の同志におられます。しかし、ネットで書く訳にはいかないので、お伝えできないです。代わりに、次の御書をお送りします。

    「仏法を信じて今度生死をはなるる人の
     すこし心のゆるなるをすす(勧)めむがために
     疫病を仏のあたへ給う
     はげます心なり・すすむる心なり」

    (御書1589ページ)

    まみさんのコメントを見た誰かから、情報が寄せられると良いですね。今のところ、余りお役に立てないですが、懲りずにまたお越しください。