お久し振りです。もう7月も終わりますね。早いものです。記念上映会は素晴らしかったですね。役員をやったり、数人の壮年部員にモバイルで見せたりと、自分らしく戦わせて頂きました。ウイズ・コロナの時代となり、「また会合か」と愚癡を言っていたのが、はるか昔のことのようです。
週6日の配達を元気にやり切りながら、自営の本業の方も、次の受注を受けて動いています。少し疲れているかなと思ったら、休日らしい休日を何百日もとっていなかったです。お盆休みはしっかり取りたいと思います。では、また先生のご指導を学んでいきましょう。
●第23回本部幹部会、第7回婦人部幹部会(1998年6月16日。池田大作全集第89巻)
有名な日寛上人の仰せには、次のようにある。「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(「観心本尊抄文段」文段集443㌻)こう断言なされている。この大確信を忘れてはならない。
では、時として、祈りが叶わないように見えるのは、なぜなのか。それは、より祈りが深くなるように、また、より強い人間、より深い人生になれるように、そして、より深き福運をがっちりとつけるようにとの御仏智なのである。
何でも、ちょっと祈って、すぐに叶ったのでは、人間は堕落してしまう。これでは立派な人生が築けるわけがない。会社に働きに行っても、その日に給料がもらえるわけではない。木を植えても、すぐに大きくなるものではない。本当に深き祈りも、死にもの狂いの努力もなくして、簡単に祈りが叶ってしまえば、人間を堕落させるだけである。それでは偉大な人間をつくる仏法ではなく、人間を破壊する仏法になってしまう。
また、「叶う、叶わない」には、さまざまな要因がある。ゆえに、大切なことは、祈りは「叶うまで続ける」ことである。祈り続けることによって、自分を厳しく見つめることもできるし、地道な努力の軌道へと、生活を向上させることもできる。かりに具体的な結果がすぐには出ない場合でも、祈り続けた人は、何かのときに、祈り以上の結果が証明され、そしてまた、大きく守られていくのである。
たとえば仕事のことを祈ったとしても、それだけでなく、より広く、大きく、人生万般にわたって、幸福の方向へと軌道修正されていく。あとから振り返って、「これで良かったんだ」という所願満足の自分に、必ずなっていくのである。要するに、その人が本当に幸福になり、立派になるための祈りであれば、必ず叶う。すぐには結果が現れない場合でも、長い目で見れば、絶対に叶っていくのである。
●名字の言から 2014年6月10日付
才能とは持続する情熱であり、二十四時間、頭のど真ん中に「気になること」を置ける人だけが、ある日、何かの拍子に壁を突き抜け、答えを手にできる。
(『リーダーのための伝える力』朝日新聞社)
【ひと言感想】
宇宙をも動かし無限の力がある創価の御本尊からすれば、私たちの祈りを叶えることなど、余りにも簡単なことです。むしろ私たちの祈りの内容が余りにも小さ過ぎて、あきれる位、御本尊の力を見くびっているのかもしれません。
全ての人を幸福にせずにおくものかとの、日蓮大聖人の慈悲が凝縮した御本尊ですから、いかなる願いであれ、本当はすぐに祈りを叶えてあげたいのです。しかし苦労せずに祈りが叶うと、当人が堕落してしまったり、信心を失ってしまう。ですから、その人の本当の成長を見ながら、「ここまで努力し境涯変革されれば、この人は大丈夫だ」と安心して祈りを叶えてくださいます。
信心は魔法でも手品でもないのです。また、意地悪をする仏などいません。広布の責任を担い、真剣に使命を果たし抜いていくなら、祈りの成就や功徳は後からいくらでもついてきます。最も深く広大な慈愛で、本当に私たちのことを思い、最善の道に導いてくださるのが仏なのです。目先の結果に一喜一憂せず、水の流れる如き持続の信心を貫いてまいります。
●聖教新聞ラジオライブラリー、今日7月30日放送分から 『新・人間革命 30巻(上)』
信心指導とは、高みに立って同志を教訓することではない。リーダー自らが一個の人間として、決意と情熱と行動をもって進むべき道を指し示し、共感をもたらしていく生命の触発作業にほかならない。
【ひと言感想】
信頼関係を構築せずに、人を指導したとしても、自己満足はできるでしょうが、相手の生命に入りません。無用な反発を招き、信心から却って遠ざけてしまう場合もあるでしょう。指導する、される、の立場の違いがあっても、本来、求道者としては平等なのです。常に有頂天にならず、謙虚な心で法を求めていきたいと思います。
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コメント
初めまして、私はうつ病を患っているkaisenというものです。
今、会社復帰の為にお試し出勤しているところですが、うつ病の調子が良くないときがあり、お試し出勤も限界まで伸ばして貰っています。
ここいらでちゃんと正社員復帰しないと家計などが苦しいです。
傷病手当なども使い切ってしまったので、もう、復活するしかありません。
うつに負けたくありません。
このサイトに載っている体験談を読んで、勇気が湧いてきました。
明日から頑張って出勤します!
kaisenさん初めまして。
うつ病なのですね。何年になられますか。
つい先日も、皮膚科医師のドクター部の人のうつ病体験が、聖教に掲載され(6月9日)感銘深く読みました。
いまはコロナ禍でもあり、経済的にも苦闘が続きますね。
仮に再発・悪化してしまえば、元も子もありませんので、くれぐれもお大事にしてください。
自分も仕事に波があり、気を緩めることが出来ない日々が続きます。
もっか自分は、御本尊を揺り動かす如き祈り・戦いで勝利! をと決め、前進しているところです。
行き詰まりがあるからこそ、我々は底力が出せるのでしょうね。
今まさに大きな戦いが開始された時ですので、戦って打開する好機到来ですね。
体験も読んで頂きありがとうございます。
私はうつ病になって5年ほどになります。
今は大量の薬を飲んで日々を過ごしています。
長野県在住なので梅雨の時期になりました。天候の不安定さがうつに作用することがあるので、毎日が油断できません。
日々、ご本尊様に感謝しています。
【惰弱な自分が強くなった】への返信です。
kaisenさんコメントありがとうございます。
仕事で実証示せるよう、陰ながらお祈りします。
そのうえで、私自身にも当てはまることですが、病を患ったのには意味があると思います。
病は、一度人生を棚卸して深く見つめ直し、仕切り直すためのよい機会なのではないでしょうか。
人生(や信心)をトータルに見渡した時、自分に何らかの気付きを促しているのだと。
その気付きによって、病の前よりも何倍も深い人生の喜びを味わえますよ。
仕事にも、必ず自分らしい見事な実証を示すことができますよ。
それが信心の途上で病を経た人の、変毒為薬・転重軽受の功徳だと思います。
【祈りとして叶わざるなし】への返信です。
5年ですか、薬も多いとキツイですね。
自分は病歴長いのもあり今では、薬は、朝・夕1錠ずつだけです。
新薬だったのが、月日が経つのは早く、ジェネリックとなり、安く済むので、その点は助かっています。
長野県なのですね。
心の病は気候変化の影響なども受けやすいですよね。
池田先生も医学の力を最大に発揮させるのが妙法の功徳ですとしたうえで、自分が自分にとって良き医師となり看護師となり、賢明に快方に向かってください、と仰っています。
病について深く「知る」ことが第一歩ですね。
【汲めども尽きぬ希望の源泉】への返信です。
正社員復帰へのお試し出勤とのこと、ここまで来るのも大変な戦いだったのではないのですか。
お守り御本尊様に小声で唱題しながらの勤務、それも凄い信心の戦いですね。
「自分が苦しい時ほど、人を励ましなさい」(趣旨)との学会指導も聞きました。
もし仮に、自分の苦悩だけに捉われ過ぎると、生命は小さくしぼむばかりです。
今日、日曜日に自分は、市内に打って出ました(10軒ほど)。
コロナ禍で大変な時ですが、人にも功徳を受けさせる「利他」の行動を、出来る方法で可能な限り挑戦していきましょう。
末尾に、申し訳ありませんが、「多重投稿」にならないよう、ご注意頂けないでしょうか。
本ブログ内のルールとなりますが、コメントは極力1つにまとめてください。
1つのコメントがかなりの長文になる時など、例外的に2回までに分けることは問題ありません。
細かいことで済みませんが、ご協力をよろしくお願いします。