不可能が可能になった -10時間唱題(27)

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先月10月18日に今年12回目、トータル27回目の10時間唱題を完遂しました。そしてつい先日、見事に御本尊様の厳然たる功力が顕れ、自身の問題が解決に向け大いなる前進の結果が出ました。涙する思いで感謝の題目を捧げました。

 

関係者などに迷惑をかける恐れもあり詳細には書けませんが、自身の置かれた諸々の不利な条件から、通常であればここまで来ることは不可能であり絶望的だったと思います。正に「不可能を可能にする」現証に誰より自身が驚くとともに、峠を越えることができた安堵感に包まれています。

 

未だ最終の結果を勝ちとるまで油断はできません。この喜びを前進のエネルギーに変えて、報恩感謝の戦いをしていきます。ここでまた、先生のご指導を学びましょう。

 

【補足】順番でいくと記事名が「10時間唱題(26)」となるべきですが、男子部時代に有志で行なった1回も含めると実際は全27回です。紛らわしいので今回を(27)と振り直し、今後に継続していきたいと思います。

 

 

●第2回北海道青年部総会・第六回栄光総会(1994年8月20日 池田大作全集第85巻)

「戦う気迫」を見事に表現した彫刻に、ミケランジェロの「ダビデ」像がある。高さ五メートル以上。堂々たる威容である。私はこの五月、イタリア・ルネサンスの発祥の地・フィレンツェを訪問した。その折、訪れたミケランジェロ広場に、「ダビデ」像(複製)は建っている。

(中略)
「ダビデ」像は、ミケランジェロが26歳のときに着手した作品である。彼は、それまでだれも手をつけず、何十年もの間、放置されていた巨大な大理石の塊に挑んだ。「よし、おれが彫ろう! ここにダビデを」と。その三年後、像は完成。今から490年前(1504年)のことである。

(中略)
「勇気」で人生を切り開け
ミケランジェロの「ダビデ」像には、際立った特色があるといわれる。それは何か。言うまでもなく「ダビデ」とは、古代のイスラエルで宿敵の巨人(ゴリアテ)を倒し、祖国を救った、羊飼いの「無名の青年」である。それまで「ダビデ」といえば、敵の首を討ち取って踏みつける ”勝利の場面” として描かれていた。(1440年ごろ、ドナテルロの「ダビデ」像など)

しかしミケランジェロは違った。彼は、戦い終えて勝ち誇るダビデではなく、まさにこれから戦おうとする、挑戦の姿、出発の姿を、堂々と彫ったのである。──敵を一点に見つめて動かない、鋭い眼差し。戦いを目前にして、「よし、戦おう」「おれは戦ってみせる」という緊張感と気迫。そして祖国を救うのだとの決意が全身に表れている。勇気凛々たる姿、誇り高き青年像である。

(中略)
勝利を誇る姿──それも美しい。しかし、それ以上に美しく、気高いのは ”さあ、戦うぞ!”  ”いよいよ、これからだ” という、挑戦の姿であろう。勝ち誇る人間は、傲慢になったり、調子に乗ったりする。人々を見下すようになる場合もある。ミケランジェロは、そういう人間を彫ろうとはしなかった。

尊いのは、「戦う」一念である。ある意味で、勝っても負けても、「戦う」こと自体が偉いのである。何があろうと「戦い続ける」人は、すでに人間として「勝っている」といえる。(中略)広布のために、尊い情熱の炎を燃やしておられる皆さまの日々に、「永遠の栄光」が刻まれていることを、確信していただきたい。(拍手)

 

 

●第31回本部幹部会、第1回東海道総会、第3回栃木県総会(1999年2月2日 池田大作全集第90巻)

英国の詩人トムソン「忘恩は、人類に対する裏切りである」
私は「世界桂冠詩人」の称号をいただいているから、詩人の言葉を紹介したい。(中略)英国の詩人、ジェイムズ・トムソン。「忘恩は、人類に対する裏切りである」 イランの詩人、サアディー。「感謝できる犬は、恩知らずの人間に優る」 犬も「三日飼えば恩を忘れない」という。恩を忘れる人間は「犬以下」だという言葉である。

自分自身に強く生ききれ!
(中略)
(衆生身心御書2047㌻[新版]の御文について)――土の餅であっても、仏に供養すれば、その人は世界第一の王、すなわちアショーカ大王となった。しかし、どんなに供養しても、悪人に供養すれば「大悪とはなっても善とはならない」。仏法は厳しい。つく人を間違ったら、大変である。戸田先生の時代から、学会にも悪い幹部はいた。悪党の人間がいた。そういう人についた人間は、結局、皆、だめになっている。

反対に、真実の法に供養すれば功徳は大きい。皆さまは広宣流布に戦っておられる。「身の供養」をしておられる。そして、仏意仏勅の「世界一の創価学会」を堂々と築かれた。経文に照らし、御聖訓に照らして、その功徳は「無量無辺」である。(拍手)

師弟の心は「広布のために命をかけて」
(戸田先生が)
どれほど学会のことを思っておられたか。本物の弟子のことを思ってくださったか。偽りの弟子は多く、本物の弟子は少ない。皆さまは本物の弟子であると信ずる。温かい師匠であった。慈愛の師匠であった。だから私は戸田先生を忘れない。いばる独裁者とかであったら、どうして青年が命をかけて、ついていくことがあろうか。

私は、戸田先生のため、創価学会のために早死にしていこう――こういう決心であった。自分の体を知っているゆえに。「むしろ、戦い抜いて早死にしたほうが、将来の青年たちのために、『こうやって立派に死んでいくのだ』という殉教の姿を残していける。その歴史を見つめながら、後に続く青年部が育ってもらいたい」 これが私のいつわらざる心情であった。戸田先生は、死を覚悟する私の心をわかっておられた。これが師弟である。これが本当の創価学会である。

後世のために、ありのままに申し上げておきたい。ご存じの通り、私は昭和35年(1960年)5月3日に、会長に就任した。日大講堂での晴れやかな会長就任式であった。当時、わが家は100万円くらいの小さな、マッチ箱のような家だった。半分の50万円は妻の実家から借り、あとの50万円は毎月、少しずつ支払って、生活をしていた。玄関も狭く、玄関のすぐそばに御手洗いがある(笑い)。まったく質素そのものの貧しげな家であった。

会長になっても、私は毎日、電車で本部に通った。朝、蒲田の駅まで自転車に乗っていく。自転車置き場に、お金を払って自転車を預け、電車で本部まで通った。こんな思い出もある。ある大物の政治家が、あいさつのためだろうか、わが家を訪ねてきたことがあった。昼間なので、私はいなかった。しかし私の家が、あまりに小さくて、自家用車は素通りするだけであった。立派な邸宅をさがしても、見つかるわけがない(爆笑)。車で行ったり来たりしたようである。

近所の人に聞いて、やっと着いたが、それでも「間違いじゃないか」と、お手伝いさんに念を押した。「池田会長のお宅は、ここでしょうか」 お手伝いさんは、少し、のんびりした人で、「はぁー、はぁー」と言うだけ(笑い)。そういう情景を、後から聞いた思い出がある。

会長就任の日――私が家に帰っても、ごちそうも何もなかった。お赤飯もなかった。妻は私に言った。「きょうは、わが家のお葬式です。きょうからは主人はいないと思っていきます」と。これが学会精神である。広宣流布の精神である。師弟の精神である。すべてをなげうって、ただ広宣流布のために――この精神を、私は身をもって教えておきたい。中国の周総理夫妻も、祖国の建設のために、そういう決心であられた。

幹部であっても、批判するだけで、何も戦わない人間もいる。いい格好をするだけの人間もいる。学会を裏切った人間は、名聞名利だけを ”盗み”、自分だけが世間にほめられ、金をもうけて暮らしたかったのである。ふつうの泥棒よりも悪い。最低の人間である。「裏切り者は、犬畜生以下だ」と、戸田先生は本当に厳しかった。落雷のごとく怒っておられた。仏勅の学会を裏切り、同志を裏切り、広宣流布の誓いを裏切る。仏法上、これほどの大罪はない。

 

 

 


コメント

  1. ラン より:

    レオさん、10時間唱題お疲れ様でした(^^ トータル27回Σ(・□・;)凄いです!結果も出されて、やはりお題目に勝る兵法はないですね。

    ミケランジェロの「ダビデ像」を通しての先生の御指導ありがとうございました。

    (ミケランジェロは)【これから戦おうとする、出発の姿、挑戦の姿を堂々と彫ったのである】

    まさに『今、ここから、これから』の仏法の「現当二世」に通ずるものがありますね!私も、勤行・唱題を根本に、常に前へ前へと日々、挑戦していこうと思います(^^)/

  2. レオ より:

    ランさんいつもコメント並びに、秀逸な記事をありがとうございます。己心の仏界を涌現する唱題は、自分にとって最も大切な時間です。どんな難をも乗り越える原動力です。

    「強敵を伏して始めて力士をしる」とある通り、自己新記録の難を越えつつあり、改めて御本尊の力を命でひしひしと感じています。

    ダビデ像を彫ったミケランジェロの生涯も興味深いですね。今ここから、「現当二世」「本因妙」の勇気を湧き出して、前進していきます!