真心が最大に報われるのが大聖人の仏法

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衛星中継にて池田先生がご指導されていたのが、昨日のことのようです。日蓮大聖人が米などのご供養を頂いた際に、門下の真心をどれほど賞賛されていたことかを、先生が教えてくださったことがありました。

 

数多くのお手紙の冒頭に、御供養の品々を一つ一つ取り挙げて、感謝と称(たた)える言葉をお認めになっていることからも伺えます。時には当時貴重であった紙面の多くを費やし、本文の何倍もの大きさの文字で、品々の名前を挙げておられます。そこには門下の一途な信心を絶対に見逃してなるものか、との御本仏の溢れる慈愛と真剣さがありました。それは次の御文からも読みとることができます。

 

「いわんや、民のほねをくだける白米、人の血をしぼれるがごとくなるふるさけを、仏・法華経にまいらせ給える女人の成仏得道、疑うべしや」
(妙法尼御返事 新版1999㌻)

 

真心の御供養に対し大聖人は、「民のほねをくだける白米、人の血をしぼれるがごとくなるふるさけ」とまで仰せです。一つの御供養の品の背後に込められた、門下の涙ぐましい苦労や真心を感じ、心から讃えているのです。

 

大聖人と真逆の、無慈悲極まりない集団が日顕宗・宗門です。学会からの真心の供養を取るだけ取って、贅沢三昧に耽(ふけ)った挙句に、一方的に学会を破門してきたのです。

 

「もらった物なんだから、もらった後に何に使おうが、とやかく言われる筋合いはない」
「もらった供養で、豪遊しようが贅沢をしようが、そんなことはこちらの自由だ。堂々とそう言ってやればよい」

 

日顕やその一派の言動です。これが宗教者の言うことでしょうか。余りに無慈悲で人間性の欠片(かけら)も無い。こんな輩のどこに、大聖人と等しい御内証があるというのか。笑止千万です。呆れてものも言えない。

 

今にして思えば、こんな極悪の堕落坊主達と縁が切れて本当に良かった。学会を破門したかに見えて、実は、広布破壊の日顕宗・宗門が日蓮大聖人から永久に破門されてしまったのです。この時、晴れて学会は「魂の独立」を果たし、創価ルネッサンスの旭日が昇ったのです。ではここで、上の御文を通しての池田先生のご指導を学びましょう。

 

 

●第44回本部幹部会 1991年7月(池田大作全集第77巻)

短い御文であるが、このような大聖人のお手紙がある。

「日月は地におち、須弥山はくずるとも、彼の女人、仏に成らせ給わんこと疑いなし。あらたのもしや、たのもしや」
(妙法尼御返事 新版1999㌻)

――たとえ、日や月が地に落ち、須弥山(古代インドで考えられた世界最高の山)が崩れることがあったとしても、かの女性が仏に成られることは疑いない。まことに頼もしいことである――。

「干し飯一斗・古酒一筒・ちまき・あおざし・たかんな、方々の物、送り給びて候。
 草にさける花、木の皮を香として仏に奉る人、霊鷲山へ参らざるはなし。いわんや、民のほねをくだける白米、人の血をしぼれるがごとくなるふるさけを、仏・法華経にまいらせ給える女人の成仏得道、疑うべしや」(新版同㌻)

――干飯(飯を干して乾かした食品)を一斗(十升)、古酒を一筒、ちまき(もち米を葉で巻いた、五月の節句の供物)、あおざし(青麦から作った菓子)、筍などの品々をお送りいただきました。草に咲く花や、木の皮を香として仏に供養した人で、霊鷲山(仏国土)へ参らない人はいない。まして、民の骨を砕いてつくったような貴い白米、また、人の血をしぼったような大切な古酒を、仏・法華経に御供養なされた女性の成仏得道を、疑えるであろうか、絶対に成仏するのである――。

ここに紹介された女性が、どういう人であったか、くわしいことはわからない。ともあれ、真心の供養をお届けした一婦人門下に対して、大聖人は、”たとえ太陽や月が落ちても、その婦人が成仏しないことはない” とお約束くださっている。そして、この婦人が心をこめて用意し、お贈りした一点一点の品を、大聖人は最大の礼を尽くして受け取っておられる。

”民の骨を砕いてつくったような白米” ”人の血をしぼったような古酒” ――。なんと心のひだに染み入るようなお言葉であろうか。庶民の苦労を慈しまれるお心の深さに、強く強く胸打たれてならない。

金品では決して測れない、庶民の涙ぐましい「苦労」。いじらしい「真心」。けなげなる「信心」。大聖人は、そうした私ども門下の真情を、庶民の心の機微を、すべてあますところなく、汲みとってくださっている。どこまでも大慈大悲で守ってくださっている。大聖人だけは、絶対に庶民を裏切るようなことはなさらない。

「真心」が「真心」として最大に報われる世界――これが、大聖人の仏法の世界であり、私どもの世界でなければならない。そうであってこそ、私どもは心から「安心」できる。かりに、苦労知らずで庶民の真心がわからず、仏子の真心を踏みにじったり、それで私腹を肥やすような人間が門下の中にいたならば、大聖人のお心に反逆する者と、私どもは断ずる。ともあれ学会は、永遠に、庶民の心で、庶民とともに、庶民のために進んでいく。

 

 

いかなる労も惜しまず、一人を励ます池田先生

 

 

 


コメント

  1. ラン より:

    レオさん、ありがとうございます!『妙法尼御返事』拝読しました。

    【民のほねをくだける白米、人の血をしぼれるがごとくなるふるさけ】

    庶民が苦労に苦労を重ねてつくった白米や古酒に思いをめぐらさている一節ですね。
    その貴重な白米や古酒を「仏・法華経に供養する功徳で成仏は絶対に間違いない」との、女性門下に対する大聖人の深い御慈愛が感じられます。

    【信徒の御供養を何に使おうが勝手】

    などというのは、あまりにも人の心の機微を無視した言葉だと思います。信徒がどんな思いで御供養したかなど考えたことがないのでしょうね。

    大聖人は真心には真心で返される心のあたたかい方だったということが、御文から感じられます。池田先生も真心には真心で答えてくださる、一人をどこまでも大切にされる偉大な指導者でした。信徒の真心からの御供養を、自身の贅沢、遊戯雑談に使い放題だった「法師の皮を著たる畜生」の日顕など足元にも及びません。

    ご紹介いただいた河合師範の御本、注文しました(^^)/
    読んでしっかり勉強します。いつもありがとうございます。

  2. レオ より:

    破邪顕正の研鑽の一助になればうれしい限りです。

    【大聖人は真心には真心で返される心のあたたかい方だったということが、御文から感じられます。池田先生も真心には真心で答えてくださる、一人をどこまでも大切にされる偉大な指導者でした。信徒の真心からの御供養を、自身の贅沢、遊戯雑談に使い放題だった「法師の皮を著たる畜生」の日顕など足元にも及びません。】

    ランさんの仰る通りですね! 
    ありがとうございます。あとは弟子の我々が、どこまで体現できるかが大事ですね。

    話は飛びますが、『ワールドセイキョウ』Vol.4 のロベルト・バッジョの体験は素晴らしかったです。
    男として恥ずかしながら涙して読みました。