人の生命より重いものはあるのか -疑問(2)

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【2】

第2の疑問は次の通りです。それは、天秤(てんびん)の一方の皿に「正義」を、もう一方に「人の生命」を載せた場合、どちらが重いのかということです。戦争それ自体が愚かな行為であるという事実から目を背けてはならない。

 

生命より重いものはない

 

そもそも、ロシアが一方的に攻撃してきたから、ウクライナは米国・NATO等の諸外国の助けを得ながら、懸命に防衛しています。それは当然です。自分や家族が暴漢に襲われた時に、抵抗もせずに黙ってやられっぱなしということはありません。過剰防衛にならない範囲で自己防衛するのは当たり前です。悪いのはロシアであり、ウクライナは被害者なのですから。

 

ウクライナは被害者

 

 

ここからは、あえて地雷を踏むのを覚悟で論を進めます。現在、西側先進諸国は、ロシアを力づくで国境・領土を現状変更しようとした悪の国家として、当事者国以外は(なかなか一枚岩ではないようですが)結束してロシアを経済その他あらゆる分野から締め出そうとしています。こういう事態を招いたロシアの愚かさや智慧の無さをことさらに強調する論調も見られます。

 

しかしロシアから侵寇を受ける前に、ウクライナからの「挑発」とも受け取られる動きは無かったのか。それがNATO加盟を選んだということではなかったのでしょうか。ウクライナは主権国家ですから自国の方針をどう決めようが本来自由です。しかしNATOに加盟するということは、ウクライナ国内に将来NATOの軍事基地ができることをも意味します。

 

 

例えばウクライナの首都キーウとロシアの首都モスクワ間の直線距離は758kmです。東京から北朝鮮の平壌間の距離が1,290kmに比べてもかなり近い距離です。ロシアから見れば、首都であるモスクワが脅威に晒されかねない事態を、黙って見過ごせるでしょうか。そんなことは、ウクライナの民衆そして双方に何万の犠牲者を出した言い訳にはならない、と言われればその通りです。

 

しかし、ウクライナには、国民の生命を守るために間違いのない国のかじ取りをする政治指導者も、真に聡明な賢者もいなかったのでしょうか。それとも、民衆からの民主化の潮流を前に、そうした言葉はかき消されてしまったのでしょうか。もし、NATOに加盟するか否かが発端となり、これだけの命のやり取りをし、何百万人もの難民を生み、街を徹底して破壊されたとしたら、この最悪の事態は本当に回避できなかったのでしょうか。ウクライナは善でロシアは悪だから、どれだけの犠牲者が出ようとも、ロシアが非を認めない限り、徹底抗戦してロシア軍を叩くしかない、との思考だけでよいのでしょうか。

 

最悪の事態は本当に回避できなかったのか

 

 


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