唱題行の偉大さ、有り難さ -10時間唱題(17)

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毎月1回の10時間唱題を決意して2カ月目、今年としては3回目を完遂しました。実際は、集中して祈れるよう一念を整えていく、前半はそういう唱題でした。後半になるとご祈念項目を箇条書きしておいたもの28項目を、丹念に祈ることができました。身の周りのことから折伏、そして地域や世界の平和と安穏、等々。多少時間が足りず、次回に持ち越しとなった項目もいくつかありました。

 

10時間唱題の管理表

 

 

時間を誇る気持は微塵も無いつもりです。題目の時間だけを強調することは、信心の正道を誤解させる恐れが多分にあります。肝心なのは、広宣流布に戦う一念です。その情熱と負けじ魂、実践する勇気が無かったとしたら、いくら長時間あげたとしても、単なる形式に過ぎなくなってしまう。厳しく言えば、単なる唱題という形式に功徳があるのではないのです。

 

一歩も退けない大きな悩みがあるなら、心の底から叶えたいことがあるなら、とにかく一にも二にも三にも題目です、そして折伏することです。なりふり構わず唱題に徹することです。格好ではないのです。題目の時間をたくさんやれば、同志が称賛はしてくれるでしょう。しかし、宿命転換はどこまでも自己の弱さとの戦いです。

 

自分もいま、新たに大きな人生の課題に直面しています。改めて、広布のための唱題に徹し抜き、勝利の実証を示していきます。ここで、池田先生のご指導を学びましょう。

 

 

●「御義口伝」要文編⑤ 譬喩品第3・信解品第4 大白蓮華2023年3月号

無上の宝聚【ほうじゅ】をただ「一言」で受け取る
(「御義口伝」信解品の一節(新1014の8行目~、全727の5行目~)について)

「辛労も無く行功【ぎょうく】も無く、一言に受け取る信心なり」とは、「一言」すなわち南無妙法蓮華経と唱える唱題行の偉大さ、有り難さを教えられています。古来、仏法者たちが辛労を重ねて行功を積む修行の果てに求め抜いた成仏の果徳、無上宝聚を、ただ一言で受け取れることが、どれほど信じ難いことか。偉大なことか。

 

それゆえに、信ずることそれ自体が、間断なき無明との戦いです。どんなに苦しい時、つらい時があっても、題目を唱えに唱え抜いていくのです。その人は、全宇宙の財宝を、わが生命に集めるような大福徳に包まれていきます。

 

 

 


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