一闡提の対治こそ災難を防ぐ方途(1)

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各々、師子王の心を取り出だして、いかに人おどすともおずることなかれ。師子王は百獣におじず。師子の子、またかくのごとし。彼らは野干のほうるなり。日蓮が一門は師子の吼うるなり。
(聖人御難事1620㌻)

 

創価学会員が正義を叫ぶのは、師子が吼えているのと同じだと仰せです。これに対し、学会破壊の魂胆をひた隠しにして、屁理屈・妄語をこねくり回している輩は野良犬や狐と同じであるとご断言です。

 

創価学会は宗教界の王者なり

 

一闡提(いっせんだい)とは謗法・不信の者です。何が正しく何が悪かなのかが転倒してしまっている。善悪を正しく認識し判断することができない輩なのです。言いかえると「こころざし(志)」を何も持ち合わせていないし、理解すら出来ない存在なのです。

 

「広宣流布」即世界平和という大目的、すなわち正法を弘めて不幸にあえぐ人々を救うとともに、安穏な社会・世界を実現するという「志し」を完全に捨ててしまったのが現日蓮正宗宗門です。あろうことか、不自惜身命で広布に邁進する創価学会を破壊しようとした極悪・日顕により、謗法の山と化し、邪宗以下の極悪邪宗に堕落しきってしまった。

 

謗法がいかに恐ろしい結果を招くか。「謗法への布施を止めよ」との主題による、池田先生の立正安国論講義から以下に抜粋します。

 

●池田大作全集26巻(立正安国論講義)179ページから

(御書27㌻「立正安国論」)
又云く「殺(さつ)に三有り謂(いわ)く下中上なり、下とは蟻子乃至(ぎし・ないし)一切の畜生なり唯(た)だ菩薩の示現生(じげんしょう)の者を除く、下殺(げさつ)の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕(だ)して具(つぶさ)に下の苦を受く、何を以ての故に是(こ)の諸の畜生に微善根有り是の故に殺す者は具に罪報を受く、中殺とは凡夫の人より阿那含(あなごん)に至るまで是(これ)を名けて中と為す、是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く・上殺(じょうさつ)とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定(ひつじょう)の菩薩なり阿鼻(あび)大地獄の中に堕す、善男子若し能(よ)く一闡提(いっせんだい)を殺すこと有らん者は則(すなわ)ち此(こ)の三種の殺の中に堕せず、善男子彼の諸の婆羅門(ばらもん)等は一切皆是(これ)一闡提なり」[已上]。


 

(池田先生の講義)

謗法の者を対治【たいじ】せよと仰せられる裏づけとして、謗法者をたとえ殺しても仏法上の罪は受けないことを説く涅槃経の文を引かれている。これは、殺を奨【すす】めるのではなく、謗法の流す害毒がどれほど大きいかを示したものである。

およそ、この経文は、仏教を温かい慈愛の教えぐらいにしか考えていない現代人にとっては、驚天動地【きょうてんどうち】の説法であろう。「これが、あのお釈迦さまの言ったことだろうか」と耳を疑う人もいるかもしれない。そのような人は、まず、自己がこれまでもっていた仏法観が、まったく皮相的であったことを知るべきである。そして仏法のもつ深遠な哲理、力強い指導性を、心を謙虚にして求めるべきである。

すでに、多くの経文を引いて、繰り返し論じられてきたように、邪法、邪義は、三災七難の根本原因となるものである。飢饉、疫病、戦乱、水害、干害【かんがい】、冷害等々の天災や人災によって、死んでいった人々の数は、計り知ることすらできない。すなわち、これらの人命を奪い、民衆の生命力を衰えさせ、国土を荒廃させる張本人こそ、謗法、一闡提【いっせんだい】の僧たちなのである。したがって一闡提を対治【たいじ】することこそ、人々が安心して生活していける社会にしていくための根本であることを、このような表現をもって示されたのである。
(つづく)


コメント

  1. ラン より:

    レオさん、あけましておめでとうございます(^^♪今年もよろしくお願いします。
    記事を読ませて頂き、改めて【立正安国論】を拝読し、心肝に染めていこうと思いました。

  2. レオ より:

    ランさん、明けましておめでとうございます(^O^)/
    創価三代の会長が、なかんずく池田先生があらゆるご指導を遺してくださり、その学会厳護の力は永遠です。
    立正安世界の「柱」として今までどれだけ護って頂いたか計り知れませんね。
    今度は弟子の私たちが、先生の祈りと行動を受け継いでいく、本舞台の到来ですね!
    今年もよろしくお願いします。