念仏無間地獄(3)

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念仏宗の害毒の現れ方は
1.現実変革のエネルギーに乏しい。
あきらめの人生、消極的人生となるゆえに、深い充実感や歓喜が無い。
2.他力本願で、自ら周囲・環境をも変えていこうとの積極性に乏しい。
3.悩みの絶え間ない生活になる。
4.自殺したり、自殺願望を持つ者が多い。

ではなぜ念仏はこういう傾向になるのかを考察する手始めに、念仏の概略を確認しておこう。

中国浄土宗の祖は曇鸞(どんらん=476~542年)であり、日本の祖は法然(1133~1212)、真宗の祖は親鸞(1173~1262)である。
本尊は阿弥陀如来であり、依経は「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経である。

この世を穢土【えど】として嫌い、念仏を唱えることにより、例え悪人であっても、死後、西方極楽浄土へ往生するのを理想とし根本としている。
これを正当化するため、祖師や後世の人師が多数の邪義を造り出している。
念仏が主張する邪義を列挙してみる。

1.聖道門、浄土門
2.難行道、易行道
3.正行、雑行
4.捨閉閣抛
(しゃへいかくほう=浄土宗以外の教えを捨てよ、閉じよ、閣【さしお】け、抛【な】げうて)
5.未有一人得者
(みういちにんとくしゃ=聖道門ではまだ1人も得道(=成仏)した者がない)
6.千中無一
(せんちゅうむいつ=聖道門では千人の中に1人も成仏する者はない)

こうして列挙してみるだけで、念仏宗があらゆる言葉を尽くして、いかに法華経を誹謗しているかが明瞭である。
ここで、彼等の主張通りに、それぞれを浄土宗と法華経に分けると、次のようになる。

浄土宗=浄土門、易行道、正行、百即百生

法華経=聖道門、難行道、雑行、未有一人得者、千中無一

特に、末法の衆生は機根が劣っているゆえに、法華経を聖道門、難行道と呼び、一見すると褒め上げて無用の教えと誹謗しているのである。

 

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