魔との勝負に「勝つリーダー」こそ仏 -指導集(30)

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●男子青年部幹部会でのスピーチから(1990年6月26日、東京)
「池田大作全集第74巻」に所収。

「仏法は勝負」ということについて、少々、申し上げておきたい。戸田先生は、よく教えられた。「信心は、人間の、また人類の行き詰づまりとの戦いいだよ。魔と仏との闘争が信心だ。それが仏法は勝負ということだ」と。

 

前進していれば、当然、行き詰まる場合がある。その時は、いちだんと題目をあげ、行動することだ。そうすれば、また必ず大きく境涯が開けてくる。ふたたび前に進んでいける。この限りなき繰り返しが信心である。

 

その自分との戦い、行き詰まりとの戦い、魔との闘争に、勝つか負けるか、それが〝勝負〟なのである。しのぎをけずるような厳しき自己との闘争を忘れれば、もはや堕落である。遊戯である。ぬるま湯にひたっているような安逸は、もはやそれ自体、敗北の姿なのである。

 

(中略)
このほか仏典には、〝仏の別称(別名)として、次のような表現が使われている。

「戦勝《せんしょう》」
「勝導師《しょうどうし》」
「勝陣《しょうじん》」
「勝他《しょうた》」
「勝他幢《しょうたどう》」
 (幢《どう》とは、はたほこ、王将である象徴)。

 

また
「健勝破陣《けんしょうはじん》」
 すなわち魔軍の陣を破り、勝つ健者、勇者。
「十力降魔軍《じゅうりきごうまぐん》」
 すなわち十の力で魔軍を降《くだ》し全滅させる強者

 

――これが、仏なのである。すなわち、魔との勝負に「勝つリーダー」(勝導師)こそ仏だというのである。勝ってこそ仏法、勝ってこそ信心なのである。魔軍との戦いについて、大聖人は、こう描写されている。

 

「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224㌻)

 

【通解】 第六天の魔王が、十の軍隊をもって戦争を起こし、法華経の行者と〝生死の苦しみの海〟の中で、同居穢土(娑婆世界のように、六道の凡夫と四聖〈声聞、縁覚、菩薩、仏〉が同居する国土)を、「取られまい」「奪おう」と争う。日蓮は、その身にあたって、仏の大軍を起こして二十余年になる。その間一度も、退く心はない 。

 

(中略)
この魔軍を打ち破る武器は何か。それはただ一つ、信心の利剣以外にはない。ゆえに広布のリーダーは、第一に〝信心強き〟勇者でなければならない。そうでなければ、どんなに優秀なリーダーに見えたとしても、根本的次元における魔との〝生命の戦い〟に勝利することはできない。「信心」が強いかどうか、それが真の強者か否かの基準なのである。

 


 

●君も立て-総務の戦い② 23-2-27付聖教新聞

(1958年(昭和33年)9月15日、浜松市内で先生は男子部に対して訴えた)

今こそ、折伏をしなさい。そして、うんとけなされなさい。その悔しさを御本尊に祈り切っていくのです。絶対に幸福になって、学会の正義を宣揚するという”人間革命のくさび”を打っていく時が今です。

 

戸田先生と池田先生

 


 

●小説「人間革命 第7巻」 翼の下の章

戸田は、一つの譬えを用いながら話を続けた。
「ここに三つの畑があるとします。第一の畑には何も蒔かず、第二の畑には莱の種を蒔き、第三の畑には宝のなる木の種を、一粒蒔いたとします。第一の畑には子どもが入ったとしても、誰も叱らない。第二の畑に入ったとしても、真剣には叱らない。ところが、第三の畑に入ったとしたら、それこそ大声で叱るでしょう。信心とは、御本尊を頂くということで、仏になる宝の種を植えたことであります。つまり、心田に仏になる種を植えるんです。目には見えないが、こうなると諸天善神は、夜となく昼となく、懸命に守っています。

 

種が芽を出し、やがて育った木は枝を出し、葉が茂り、花が咲き、実が、なっていきましょう。それも、わずかのうちにです。こうなると畑の値段は、いやでもぐんぐん高くなる。これを成仏の境涯と言いますが、そこまでいかずとも、葉が茂るころには、人生において本当の幸福生活ができるんです。あなた方は、まだ、芽が出たか、出ぬかの時なんです。芽が虫に食われては、なんにもならない。草ぼうぼうにしておいては、芽は腐ってしまう。

 

そこで、心田にある雑草を取らなければならない。それが折伏です。朝夕の題目は、畑にこやしをやることです。功徳のはっきりしない人は、雑草を抜き取らぬからです。あなた方は、心田に種を植えたのですから、絶えずこやしをやって、雑草を抜き取り、幸せになりなさい。

 

本当によくなるのは、十五年だな。仏法は道理だもの………大樹になるには当然なことだ。七年ぐらいから、だんだん、よくなることが見えてくるでしょう。菜っ葉だって、種を蒔いてから芽を出すまでに、五日や一週間はかかる。焦らず待っていなさい。十五年目の実証を確信して、腰をすえて、しっかり信心に励むことです」
彼は、生涯にわたっての本格的な信心の姿勢を教えたのである。

 


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