不可能を可能にする無限の仏力・法力 -10時間唱題(20)

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労働日と休日を振替えました。毎月1回から毎週1回に増やして、2週目となる10時間をやり遂げました。今年になって6回目の完遂です。北海道なので涼しいとお思いでしょうが、訳あって閉め切っていると30度でずっと維持しています。扇風機が回りっぱなしです。

 

10時間唱題の管理表

 

ここまで自分なりに多くの題目を唱えてきて、改めて思ったことを述べます。それは、何としても叶えたい願いがあるなら、どうしても解決したい課題があるなら、「御本尊のお使い」をすることです。ただ長時間の題目をあげたとしても、「御本尊のお使いをしよう」「そのための勇気を出させてください!」との、ひたぶるな一念が無ければ結果は出ません。

 

当たりまえのことですが、御本尊様には口がないのでしゃべることはできません。また、手も足もないので歩くこともできないし、振る舞いで示すこともできません。ですから、私たちが御本尊のお使いとなって、一軒一軒足を運び、口を使って語り、振る舞いで示していくのです。

 

その時に目には見えませんが宝塔が涌現します。法華経の行者の赴(おもむ)くところ、仏界の生命が涌現するとともに、強い仏縁が結ばれます。具体的にはその時々に打ち出される、一つ一つの広布の戦いです。折伏・弘経や法戦などに、真剣に祈り動きに動いて、勝利していくのです。

 

広宣流布を前進させ、貢献しゆく戦いに、大いなる功徳と福運の実証が顕れないわけがありません。不可能を可能にする無限の仏力・法力が厳然と現れるのです。それでは、ここで先生のご指導を学びましょう。

 

 

●「御義口伝」要文編④ 方便品第2〈下〉 大白蓮華2023年2月号

私は、広宣流布の師匠である先生をお護りするために一日一日、時間さえあれば題目を唱え抜き、人知れず阿修羅のごとく戦いました。必死で苦難をはね返していきました。そして一切を勝ち越えて「題目に勝る力なし」の絶対の確信をつかんだのです。

(中略)
「師弟感応して受け取る時、『如我等無異(我がごとく等しくして異なることなし)』と悟るを、『悟仏知見【ごぶつちけん】』と云うなり」(新998・全717)

(中略)
師弟の触発によって、偉大な教えが継承されるのみならず、師も弟子も共に等しい境涯に立ちゆくという、法華経の荘厳なるドラマです。救われる側から救う側へ、導かれる側から導く側へのダイナミックな人間革命が、法華経の真髄と言っても過言ではないでしょう。

 

 

 


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