霜露の命の日影を待つ計りぞかし

2018年9月27日


●如説修行抄 御書504ページ

哀【あわれ】なるかな今・日本国の万人
日蓮並びに弟子・檀那等が
三類の強敵【ごうてき】に責められ
大苦に値【あ】うを見て悦んで笑ふとも
昨日は人の上・今日は身の上なれば
日蓮並びに弟子・檀那共に
霜露【そうろ】の命の日影を待つ計りぞかし、

只今・仏果に叶いて
寂光の本土に居住【きょじゅう】して自受法楽せん時、
汝等【なんじら】が
阿鼻【あび】大城の底に沈みて大苦に値【あ】わん時
我等・何計無慚【いかばかり・むざん】と思はんずらん、

汝等・何計【なんじら・いかばかり】
うらやましく思はんずらん、
一期【いちご】を過ぐる事程【こと・ほど】も無ければ
いかに強敵重なるとも
ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ

 

[通解] 哀れなことかな、今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっている有様【ありさま】を見て、悦【よろこ】んで嘲笑【ちょうしょう】していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上とは世の常の習いである。

いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が、朝の太陽にあって消えてしまうように、わずかの間の辛抱【しんぼう】ではないか。そしてついに仏果に叶って、寂光の本土に住んで自受法楽する時に、今度は反対に、今まで笑ってきた謗法の者が、阿鼻地獄の底に沈んで大苦にあうのである。

そのとき、われわれはその姿をどんなにかかわいそうに思うことだろう。また彼らはわれわれをどんなにかうらやましく思うことだろう。一生は束【つか】の間に過ぎてしまう。いかに三類の強敵【ごうてき】が重なろうとも、決して退転することなく、恐れる心をもつようなことがあってはならない。

[引用ここまで]

[ひと言感想]
迫害される側と迫害する側、やがてかならず正邪の決着が明白に着く時が来ます。否、断じて正義が勝たねばなりません。それでこそ、自分のみならず一切の恩ある人々を守れるからです。法のため、全民衆の安穏のため、そして自他の幸福のために、「月々日々に強」る信心で前進していきます。

 

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