もう8月下旬だというのに、なかなか暑さが緩みませんね。「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますから、もう少しの辛抱だと思います。くれぐれも体調を崩さないよう、真剣な唱題を根本に、水分補給や体を冷やしたり、ミネラル・ウォーター等により塩分等の補給、夏バテ対策などの注意を持続し、この夏を乗りきっていきましょう。
今日はこの炎暑の中10時間唱題を完遂しました。5週連続の5回目、今年になって計9回目となりました。今日は何とかやりきることができましたが、さすがに暑すぎます。次回以降も同じような気温・湿度であれば、無理をしないよう充分注意したいと思います。
さらに近況ですが、初級試験・青年3級について、さらに増えて壮年部1名と男子部3名を担当することになりました。すでに、延べにして学習会を21回行ないました。特に壮年部員がこの内15回行なっています。この方、とにかくノートに書いて覚える人で、もう大学ノート3冊めに入りました。その求道心に却ってこちらが学ぶ思いです。ではここで『青春対話』から、勤行・唱題について学びましょう。
一遍の題目にも限りない功徳が
――「勤行ができなかった日は”罪悪感”にさいなまれる」という人もいるのですが。
池田先生 御本尊を信じている限り、「罰」なんか出ません。心配しなくてもいい。日蓮大聖人は「一遍の題目にも、限りない功徳がある」と言われている。
――それでは十回もあげれば、すごいことですね。
池田 いわんや、真剣に勤行・唱題を続けたら、どれほどすばらしいか。全部、自分のためです。義務ではなく、自分の権利です。御本尊は決して、拝んでほしいなどと言われていない。こちらから、拝ませてくださいというのが信心です。
やった分だけ、自分が得をする。お題目を何遍あげなければいけない、というようなことは大聖人は、おっしゃっていない。本人の自覚の問題です。信心は一生のことなのだから、神経質にとらわれてはいけない。
ともかく窮屈に考える必要はない。仏法は人間を自由にするものであって、人間を縛るものではないのです。少しずつでも、毎日することが大事です。毎日、ご飯を食べてエネルギーとなる。勉強も毎日、積み重ねることによって力となる。「毎日の生活が即人生」となる。だから「毎日の生活即向上」でなければならない。その推進力が勤行です。
(中略)
「祈りがなかなか叶わないのだが」
――こんな質問もありました。「悩みを解決しようと、一生懸命に勤行をしているのですが、全然解決できません。最近は勤行もたるみがちで、この悩みは解決できないと思うようになりました。どうすればいいでしょうか」池田 「祈りとして叶わざるなし」の信心です。しかし、祈ってすぐに叶うのは”手品の信仰”だ。「明日、宝くじに当たりたい」「明日のテストで百点を取りたい」と祈って、簡単にそうなるものではない。しかし、もっと深く、長い目で見た場合に、祈った分だけ、全部、幸福の方向に行っているのです。
(中略)また、信心の度合いも一人一人違いがあるし、もっている宿命も一人一人違う。しかし、祈っていくことによって、必ず「良い方向へ」「良い方向へ」と、本格的な希望が開けていくことは間違いないのです。
――かりに、すぐに結果が出なくても、「続ける」ことが大事なのですね。
池田 何でも「すぐ」ということは、あり得ない。「すぐ」に叶ってしまえば、その人の堕落につながる。安易な人生になってしまう。
――たしかに、「すぐ」に願いが叶えば、人は努力なんかしなくなります。
池田 ちょっと絵を描くのが好きな人が、バッバッと絵を描いて、すぐに展覧会ができて、絵が売れてしまうことなど、あり得ない。仕事をしないで遊び回り、そのせいで貧乏になっている人に、貧乏だからといって、たくさんお金をあげて、その人は幸福になるだろうか。
――絶対になりません。かえって変になってしまうと思います。
顕益と冥益
池田 (中略)御本尊の功徳には「顕益」と「冥益」がある。「顕益」というのは、病気とか、人間関係とか、何か問題が起こった時に厳然と守られ、すみやかに解決できる利益です。
「冥益」とは、木がゆっくりと育つように、また海の水が満ちていくように、次第に福運を積み、豊かな大境涯を築いていく。毎日見ていても変わっていないようで、何年間か長い目で見た場合には、厳然と幸福になっている。成長している。それが「冥益」です。「顕」とは、はっきり目に見えるということ。「冥」とは、なかなか目には見えないことを意味する。
題目を唱えていけば、「顕益」の場合もあれば、「冥益」の場合もあるが、結果として必ず、自分にとっていちばんいい方向になっていくのです。
(『青春対話』勤行・唱題とは 池田大作全集第64巻)
コメント