猶多怨嫉・況滅度後

ここで御書二編を学びたいと思います。

されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし
況滅度後【きょうめつどご】の大難の三類・甚【はなはだ】しかるべしと、

然【しか】るに我が弟子等の中にも兼て聴聞せしかども
大小の難来る時は今始めて驚き肝をけ(消)して信心を破りぬ、

兼て申さざりけるか経文を先として
猶多怨嫉【ゆたおんしつ】・況滅度後・況滅度後と
朝夕教へし事は是なり

予が或は所をを(追)われ或は疵【きず】を蒙【こうむ】り
或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを
見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや。
(如説修行抄 御書p.501)

猶多怨嫉・況滅度後【ゆたおんしつ・きょうめつどご】とは、法華経法師品第十にある経文です。
「猶(なお)、怨嫉多し、況(いわん)や滅度の後をや」
と読み下します。

釈尊在世に比べて末法という時は、法華経の行者が受ける怨嫉がはるかに多い、との意味です。
日頃から何度も何度も師匠から聞いてきたのに、現実に大小の難が起きてきて初めて、驚き肝【きも】を消して信心を破ってしまう、との仰せです。
「驚き肝を消して」とは、難が実際に起きて初めてその大変さに気付き、驚き慌てふためく、ということです。

諸難は、経の通りの正しい実践をしているからこそ、惹起【じゃっき】してくるのです。
ですから、その「まことの時」こそ一歩も引いてはならない。
境涯を開くことのできる、千載一遇のチャンスなのです。
大功徳・大福運が得られる最高の因を、生命に刻める大事な好機なのです。

人間に生まれることができ、仏法に巡り会い、しかも最高無上の創価の陣列に連なることができたのは、「爪上【そうじょう】の土」と言われるほど稀【まれ】なことです。
あたかも、ガンジス川に無数の砂粒がある中で、手ですくった時に爪の上に乗った僅かな砂粒のように、確率としては限りなくゼロに近い希少なことです。

しかも、経の通りに折伏を為し、難に遭うことは、千年に一度しか咲かない優曇華【うどんげ】よりも遭い難い、と大聖人は仰せです。
勇気ある潔【いさぎよ】い信心を貫いてまいりましょう。

 

過去現在の末法の法華経の行者を軽賎【きょうせん】する王臣万民
始めは事なきやうにて終【つい】にほろ【滅】びざるは候はず
(聖人御難事 御書p.1190)

二つ目の御文は、法華経の行者を軽んじ賤【いや】しめる迫害者たちの報【むく】いについて、ご教示されています。
「王臣万民」とは立場がいかなるものであろうと、権力者もそれに仕える者も、一般の人々も、法華経の行者を悪口罵詈【あっく・めり】し苛める者は、1人の例外もなく滅んでいくのです。

ポイントの第1はその滅び方です。
初めは何事も無いように見えるので、居丈高【いたけだか】に迫害を加えてくるのですが、1年、3年、7年、10年、20年・・・と時を経るごとに滅びの姿を現じていきます。

「これがあの隆盛を誇り、横暴を振るった者なのか」
と驚きとともに哀れを感じるくらい、行き詰まり切った最低の境涯に没落していくのです。
余りにも峻厳な妙法の現証に、改めてその絶大な御本尊の力を痛感させられます。

ポイントの第2は、これも仏法への無知と生命の汚れから来るのですから、どこまでも創価の正義と素晴らしさを訴えて、その真実を知らしめていく中にしか、自他ともに救いきる道はないのです。
改めて、自己の(今世に生まれてきた)使命ということを、深く強く再認識しました。

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