ファビコン、卒業写真

この度、本ブログに「ファビコン」を設定しました。
「ファビコンってなんだ? ファミコンの間違いでないのか」
と言われそうですが、ファビコンで正しいのです。

では種明かししましょう。
いまこうしてブログなどを閲覧しているアプリをブラウザと言いますが、ブラウザのタブを見てください。
そうです「夢の醸造所 -己心に眠る無眼のパワーを解き放て!」とHPのタイトルが表示されている所の先頭に、小さな「夢」のアイコンがありませんか。
これを「ファビコン」と言うのです。お気に入りに入れたHPタイトルにもファビコンが付きます。
このような画像です↓
実際は一辺 5 mmの正方形の小さな画像です。
favicon

夢03

 

「それがどうしたの?」とは言わないで下さいよ。
HPを作る製作者にとっては、ファビコンまで作るかどうかが、1つのこだわりだったりします。
だいたい大きなサイトであれば、独自のファビコンを用意しています。
今度、お暇な時でも、いろいろなサイトの「ファビコン」を眺めてみてはどうでしょう。

ところで、卒業・就職のときですね。
こちら地元においても、就職で何名かの青年部が旅立ちます。
私も、授与式まで関わらせてもらい、こんなに嬉しいことはありません。
これからの前途洋々たる若い人のパワーを、たくさんもらいました。
そういう訳で、卒業の歌2曲を紹介します。

 

 

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箴言集(2)

●寸鉄から

有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかり――作家(バーナード)。動けば必ず前進が。(15-7-18)

努力する人は希望を語り怠ける人は不満を語る――作家。我らは挑戦の人と。(15-9-12)

●名字の言から 15-9-22

船が波涛【はとう】を越える際の鉄則は、船首で波を受けるようにして、真っすぐ進むことだという。避けようとすれば横波を受け、かえって転覆してしまう恐れがあるからだ。

「信心も同じです。真っすぐに。それがあれば、怖いものなしです」。1等航海士として働き、波涛会の草創を支えた友が語っていた。入会した半世紀前から、日々2時間の唱題を欠かさない。その中で幾多の自然の嵐も、がんなど人生の嵐も突破してきた。

御書に「いかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」(504㌻)と。何があろうが信心で勝つと決める。この真っすぐな決意で、我らも〝人生の波涛【はとう】〟を勝ち越えたい。

●体験のページから(‘08年3月10日付)

一流と言われる会社にいる人が、一流なのではない。「一流の人間」が働いている会社こそ、どこであれ、何であれ、一流なのである。
(池田先生のスピーチから)

●SGI会長のスピーチから(‘08年3月13日付)

「人間は『批判する者』と『創造する者』とに分けられる」

(ロシアの芸術家ニコライ・レーリッヒ)

●’79年11月2日  創大祭オープニングセレモニーでの池田先生のスピーチから(『創立者の語らい[Ⅱ]』P.10)

ペッチェイ博士は71歳。牢獄にも入り、死刑囚にもなった。(中略)レジスタンス運動で7万名の犠牲者を出した。逃げたり、隠れたり、追われたり、闘ったりそれは大変だった。しかし、今は自分の予見どおりに時代は変わった。本当にうれしい。けれども7万人の人が銃殺され、拷問され、道端で射殺され、それは大変だった、といっていた。

自分も牢獄に行き、多くの同志も牢獄に行き、それで戦争も終り、後になって我に返って感づいたことがある。普段いわゆる傲慢であったり、横暴であった人間は全部人を裏切った。皆の前では煽動【せんどう】や人気取りはうまいけれども、いざという時弱い。牢獄というところは、大変なところだ。そこで本当の人間がわかる。

普段謙虚な人ほど、そういう人生の土壇場の土壇場の、極限の極限のときに平然として、光を放っていたというのです。私も”なるほど人というのは表面ではわからない”と思いました。あの人は愚直だ、あの人は非常におとなしくてもっとしっかりしてもらいたいと思うような人が、むしろ、謙虚で力があり、発条【ばね】があって正義を貫く場合があるということを再発見した次第だ。

本当はこういう経験を踏んだ人でなければ偉大な人生の深みはわからない。偉大な人生の深みがわからない人がどうして大勢の人々の心をつかめるか、私はこういう気持ちでペッチェイ博士の話を伺い感慨を新たにしました。

 

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最蓮房御返事より

最近拝読した御書の、特に印象に残った部分を抜粋します。

実に無始曠劫の契約・常与師倶生の理ならば
日蓮
今度成仏せんに貴辺豈(きへん・あに)相離れて
悪趣に堕在したもう可きや、

如来の記文仏意の辺に於ては
世出世に就いて更に妄語無し、

然るに法華経には「我が滅度の後に於て応(まさ)に斯(こ)の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑有ること無けん」或は「速為疾得・無上仏道」等云云、

此の記文虚(むなし)くして我等が成仏今度虚言ならば
諸仏の御舌もきれ・多宝の塔も破れ落ち
二仏並座は無間地獄の熱鉄の牀(ゆか)となり
方・実・寂の三土は地・餓・畜の三道と変じ候べし、

争(いかで)かさる事候べきや
あらたのもしや・たのもしや
是くの如く思いつづけ候へば 我等は流人なれども
身心共にうれしく候なり。

大事の法門をば昼夜に沙汰(さた)し
成仏の理をば時時・刻刻にあぢはう、
是くの如く過ぎ行き候へば
年月を送れども久(ひさし)からず過ぐる時刻も程あらず、

例せば釈迦・多宝の二仏・塔中に並座して
法華の妙理をうなづき合い給いし時
五十小劫・仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと
謂(おも)わしむと云いしが如くなり、

劫初(こうしょ)より以来
父母・主君等の御勘気を蒙(こうむ)り
遠国の島に流罪せらるるの人
我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ、

されば我等が居住して一乗を修行せんの処(ところ)は
何れの処にても候へ常寂光の都為(みやこ・た)るべし、
我等が弟子檀那とならん人は
一歩を行かずして天竺の霊山を見
本有(ほんぬ)の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事
うれしとも申す計り無し申す計り無し。

(最蓮房御返事p1342)

もし日蓮大聖人と最蓮房の師弟が成仏できないなら、釈迦・多宝や諸仏の証明はすべてが虚妄(こもう)となり、あらゆる国土も三悪道に堕してしまうであろう。
そんなことは断じて無いのであり、師弟の成仏は絶対に間違いない、との大確信を打ち込まれた御書です。

創価の師弟こそ、日蓮仏法そして法華経の兵法の核心であると再銘記して、勇気と確信みなぎる一念で、新たな戦いを起こしてまいります。

 

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