苦境の意味

人生の途上では、信心をしていても、なぜこれほど悩まねばならないのか、なぜこれほど苦しまねばならないのか、と不思議に思うほど行き詰まりを感じることがあります。
そういう時に次の御文を思い出してみてください。

仏法を信じて 今度生死をはなるる人の
すこし心のゆるなるを すす(勧)めむがために
疫病(えきびょう)を仏のあたへ給う
はげます心なり・すすむる心なり。
(御書p.1589)

【通解】
仏法を信じて、今度生死の苦しみから離れようとする人が、少し心が弛(ゆる)んでいるのを見て、仏は信心を促(うなが)すために疫病を与えられている。
信心を励まし勧めるという心である。

病はもとより、人により様々な苦境に置かれるのは、仏法の眼(まなこ)から見れば、信心を深めさせるための、仏の励ましである、と仰せです。
より真剣に信心に取り組めるようにとの、仏のお計らいなのです。

それが信心で解り、腹の底から戦おうとの一念が定まれば、文字通り、
「地獄の苦しみ、ぱっと消え」るように、解決の方向に音を立てて回転が始まるのです。

詳細は書きませんが、今日一日の戦いで、大きな前進の手ごたえをつかみ取ることができました。
さすが婦人部の、陰の祈りの力は凄いものがあります。
前日土曜の夜に自宅にいたのですが、空耳だったのか、婦人部の必死に祈る声が、しばらく聞こえた気がしました。

今日は感謝も込めて、久し振りに3時間の唱題ができました。
ほんとうにスッキリしました。
この勢いで明日以降も、仕事も信心も過去に無いような、見事なる戦いをしていきます。

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ラフマニノフ/グリーグ

最初の動画は、音源は良くないのですが、ラフマニノフについての解説が画面に流れますので、時間がある方はご覧ください。
解説の内容は、ラフマニノフは重いうつ病を克服して、この曲を完成していったというものです。

余り時間が無いという方は、1つ目を飛ばして2つ目の動画からご覧ください。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 第1楽章です。

→第2楽章

→第3楽章

続いて、グリーグ ピアノ協奏曲イ短調 第1楽章 です。

→第2楽章

→第3楽章

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ほめて伸ばす

例えば、9つの良い行ないをした時に、たった1つの悪い行ないを咎【とが】めて厳しく叱ったとしたら、多くの人は腹を立て、やる気を無くしてしまうでしょう。

「こんなに努力しているのに、ちょっとしたミスに目くじら立てやがって。
ウチの上司は俺のことを何も解っちゃいない!」
と不要な反感を買ってしまうでしょう。

この場合は、1つの悪さには敢えて目をつぶって、その人の日ごろの真面目な努力を労【ねぎら】い褒め称えることが、最も適した対応となるでしょう。

逆に9つの悪い行ないをして、1つしか良い行ないしていない人に、褒め称えたとしたらどう思うでしょうか。

「ウチの上司はほんとうになまくらだ。
こうなったら好き勝手にやらせてもらおう」
と、悪事を増長させることになるでしょう。

ではただ叱ればよいかというと、これもケース・バイ・ケースで、一生懸命取り組んでいるのに、要領を得ずに悪い結果が出てしまっている場合もあります。
この場合は、ミスを叱ってしまえば却って委縮して自信を無くしてしまうこともあるので、たった1つだけの良い結果を大切にして褒め称えていくことが大事でしょう。

褒めるという行為は、こう考えてくるだけでも色々な要素が入り乱れて、いざ実行するとなると困難が伴います。
例えば、自分が尊敬している人からの称賛は嬉しいものですが、尊敬どころか軽蔑さえしているような人からの褒め言葉は、違和感や不快感を覚えることもあります。

あるいは、褒めるという行為は、褒める人の方が立場が上との暗黙の認識があるので、上からの立場で自分を支配しようとしているのではないか、との警戒心を与えてしまう場合があります。
褒めたつもりが、思うように相手は喜ばないのです。

こうなってしまう理由は、1つは日ごろのコミュニケーション不足があります。
日ごろからの信頼関係が醸成されてないので、突然褒められたことに、何かウラがあるのではと勘ぐってしまうのです。

褒めることが逆効果になってしまう2つめの理由は、1つめとも重なりますが、相手に信頼されていない、ということです。
信頼を壊してしまうような振る舞いをして来なかったか、相手に嫌われるような行動や要素は無かったか、反省してみる必要があるでしょう。
御書に、
「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」
(p.237)
とある御文にも通ずる考え方と思います。

ここまで多少理屈っぽいことを書きましたが、人間 褒められて悪い気はしません、逆にけなされればシュンと沈んでしまうのが人情でしょう。
別な御書には次のようにあります。

「ほめられぬれば我が身の損ずるをもかへりみず、
そしられぬる時は又我が身のやぶるるをもしらず、
ふるまふ事は凡夫のことはざなり」

(p.1360)

「ほめて伸ばす」時代とは良く言われますが、1から10まで褒めてばかりでは、褒められることに慣れてしまい、効果がほとんど無くなってしまうでしょう。
甘やかすことにつながってしまうことにもなります。

ですから本当に褒めようと思ったら、時には叱ることも大事です。
私は民間の教育に20年ほど携わって来ましたが、子どもから次のように思われてしまっては、教師の信頼は地に落ちたようなものです。

「この先生は何かと言えば褒めてくれるけれど、僕のことを本当に思って心の底から叱ってくれない」

大人対大人でもそうですが、本当に相手を思って叱ることができてこそ、本物の愛情が伝わる時があります。
時には、お互いに真剣に叱り合える人間関係、本音と本音でぶつかり合える関係は、ある意味、成熟した人間関係が築けていると言えるのではないでしょうか。

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