しばれた朝

今朝はマイナス11℃と、12月にしては「しばれ」過ぎです。
次の写真は配達時に撮った車外気温計の数字です。実は、こちらの地域では冬に温度が急低下することを「しばれる」と表現します。鼻毛も凍る寒さだったりします(笑)



余談ですが、2枚目の写真は地元名物「しばれ焼き」の様子です。ドラム缶でつくった鉄板上で、ジンギスカンを焼いて食べるのが「しばれ焼き」です。スケートまつり等で開催されます。冬にお越しの際は、ぜひご賞味あれ。



(H28.12.17 加筆しました)


 

↓クリックを宜しくお願いします。
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 50代オヤジへにほんブログ村


新御祈念文

創立85周年おめでとうございます。
この佳節に、新勤行要典および新御祈念文が制定となりました。

ブログにて早速新聞を切り抜いて、現・勤行要典に貼り付けて使用し始めたとの記事を見ましたので、私も新聞をコピーして貼り付けました。(→下の写真を参照)

しばらくぶりに本当に気持ちがスッキリとした勤行ができました。実感として今回の御祈念文改正の素晴らしさを感じています。

新御観念文

 

 

ご投票宜しくお願いします↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


学会二世と福子

標題は便宜上「学会二世と福子」としましたが、二世に限らず三世、四世・・・の人、或いは福子の人の信心について考えてみようと思います。

かく言う私も、父母は学会員ですし、すでに故人ですが母方の祖父母も信心していましたので、学会三世です。
福子については、母は昭和32年と入会が古いのですが、父は私が生まれた翌年の入会なので、厳密には半分福子とでも言えましょうか。

私が成人して、北海道から神奈川へ1人暮らしを始めた時、そちらの組織で大変にお世話になったのですが、壮年・婦人の中には、次のようなことを言う人がいました。

「学会二世(三世)は体験が無いんだよね」
「学会二世は親の信心に護られているんだよ」

私はこうした言葉がとても気になった記憶があります。
「二世は本当に苦労して信心した訳でないから、いざという時、確信が弱い」
といったことも言われました。
悪いこともしていないのに、何か自分に欠陥があるかのようで、わだかまりが残りました。

学生時代の仏法対話の功徳だったのですが、神奈川では一流大企業のエンジニアとして歩み始めた頃でした。
そのある意味で、それまでの信心・生活にわたる努力を、否定されたようで、不快に思ったのは事実です。

「体験が無いというなら、ようし、凄い体験を積もう」
「人がしたことのないような苦労をして、乗り越えてやろう」
と、今にして思えば、それまでとは全く違う方向に動機付けられたのも事実でした。

一面から考えてみれば、若い内から世間的に恵まれた境遇にあったことに、そう言った人のやっかみ、つまり嫉妬が背景にあったのかも知れません。
先生が言われていますが、嫉妬する方と嫉妬される方とでは、嫉妬されるほうが上なのです。(趣意)
そうであるのに、嫉妬された自分が悪いかのように取ってしまった私が、未熟であったとも言えます。

とは言うものの、学会に特別扱いの人間など必要ありませんし、世法の立場等を信心の世界に持ち込むべきではありません。
また、若い時からチヤホヤされれば、甘やかされた人間となり、年配になって苦しむのは本人です。
或いは、人の言葉をそのように捉えた私自身が、考え過ぎというか、単にひねくれていただけかもしれません。
その意味では、いち青年にかけてくれた厳しくも温かい、鍛えの言葉だったのかもしれません。

それはともかく、若い内は人間が成熟もしていないのに、周りから何かと期待される場合があります。
本当の苦労の山坂を越えて来た訳でもないのに、大きなチャンスに恵まれる場合もあります。
「出る釘は打たれる」ということもあるでしょう。

そうした「期待」と逆に「厳しい目」が交錯する中で、これからの学会の後継者として心に留めるべきことを何点か挙げてみたい。
第一に、苦労は自分をつくってくれる財産だということです。
自分を鍛錬する場に、自ら進んで身を置くことが、偉大なる自分をつくってくれます。
その鍛錬の最たるものが「折伏」です。
先生の指導にも、青年は何よりも「折伏力」を身に付けるべきであると仰せです。


第二に、人生の先輩やお世話になった方々への、感謝の心と言動が大事です。
学会指導に次のようにあります。
「不平や愚癡は、すでに持っている福運まで消してしまう」(趣意)

つまり今の自分を育んでくれた、全ての存在に深い感謝の振る舞いができるかどうかが大事なのです。
どんな分野でも、傲慢は敗北の因です。
ですから、感謝できることが、自分の運命を良い方向に無眼に開いていく源なのです。

第三に、情熱と挑戦の心こそが若者の特権です。
その意味では、何があってもへこたれず、自分を成長させる滋養と捉え、前進していってほしい。
「もうダメだ。もう立ち直れない」ともし自分が思ったとしても、時が経てば、いつか笑って振り返ることのできる日が来るものです。
それまで忍耐に忍耐を重ねることが必要な時があるのです。

第四に、これら一切を自然に実行し、過ちなき人生を開いていくために、題目根本の人であってもらいたい。
唱題の人には誰も敵【かな】いません。
どんな障魔にも打ち勝つことができる源泉が題目です。
どれだけ素晴らしい学会指導を見聞きしても、唱題に徹しなければ、それらを正しく実践することはできません。
そのためにも、正しく自行化他の題目を指導してくれる学会活動に、徹して求道心を奮い起こして参加していくことが重要です。

青少年、なかんずく学会っ子こそ人類の希望です。
師子の子らしく大成していってもらいたいというのが、みんなの願いです。
(平27.5.19修正)


 

ご投票宜しくお願いします↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村