幸福の因

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あなたは人生における「幸福の原因」とは何だと思いますか?
幸福という大樹が育つためには、その始まりである種子は、どういうものだと考えますか?

「努力」
「信念」
「愛情」
「才能」
「お金」
「家族」
等々、その答えは人によってまちまちだと思います。
学会員として40年近い私の信心を通じて(10年ほどあった休眠期間は除く)、強く思うのは、「幸福の因」とは学会活動自体であり御本尊を持っていることであり、日々、唱題に励み地湧の使命に生きる歓喜だと感じています。

さらに一重深く掘り下げれば、この信心で人を救うこと(折伏)であり、さらに言えば法華経ゆえに悪口を言われ、迫害に遭うことが、最大の「幸福の因」となります。
信仰ゆえの無用な争いや誤解などが無いよう賢明に身を処すべきであり、学会員として社会で揺るぎなき信頼を勝ち得ることは、広布を進めるためにも賢明に幸福へと自他をリードしていくためにも非常に重要なことです。

そのうえで、「世間のとが一分も無し」とあるごとく、自身に社会的過失が1つも無いのに、学会員であるという理由だけで、さまざまな迫害に遭う場合もあります。
実は信心ゆえに法華経ゆえに、悪口や迫害を受けることは、生命次元から言えばもの凄いことなのです。
「六難九易」でも説かれるように、それは難事中の難事なのです。

法華経を誹謗することは最も深い罪業となりますが、反対にあらゆる誹謗を打ち破って法華経を讃歎し弘めることは、最高の幸福境涯を築く因となるのです。
一切の迫害に耐え妙法を弘めることの難しさを、御書では「鉾【ほこ】に当たるの難事なり」と仰せです。

昔の合戦で大軍と大軍がぶつかり合う最前線で、槍【やり】ぶすまに向かって自らすすんで突進していくような、勇気と捨て身の命懸けの覚悟が必要なのです。
仏の異名の1つは「最高の勇気の人」です。
そしてこの勇気が試され、勇気を引き出す行動の連続が学会活動である、とも言えると思います。

最善を尽くしてなお、相手の無知のゆえに、悪しざまに言われることは、生命の次元で言えば最高の名誉であり、莫大な財宝をもはるかに上回る仏法の宝蔵(生命の宝蔵)を開き、自在に使いこなしていける自分になれるのです。
このことを大聖人は次のように仰せです。

当世、日本国に第一に富める者は日蓮なるべし
命は法華経にたてまつり名をば後代に留【とどむ】べし
(御書p.223)

流罪の身でありながら「第一に富める者」との御本仏の大宣言に、あらゆる魔性と人類の不幸の闇を打ち破り、末法万年にわたり照らしゆく希望の太陽が昇ったのです。
池田先生は正しい信仰ゆえに悪口を言われることは、「生命の勲章」のようなものであるとの指導をされたこともあります。

1つの小さな小さな種にも、やがて大樹と育つすべての因が具わっています。
葉も幹も根も花も果実も、すべて欠けることなく、1粒の種に具わっています。
仏法の真髄が教える「幸福の因」は、万人に開かれたものであり、SGIは今や全世界192カ国・地域まで広がっています。

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