5・3おめでとうございます -10時間唱題(10)

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若き池田先生


日にちが変わりましたが、池田先生第三代会長就任60周年を迎えた5・3「創価学会の日」誠におめでとうございます。南は九州から北は日本最東端の地まで、祝賀の連絡を下さった方々に、この場を借りて深く感謝申し上げます。

10回目の10時間唱題を完遂

 

先日、4月27日と28日に2日間かけて、10時間を完遂しました。個人的には10回目となりました。上の画像は、タイムスケジュール表をスキャナで取り込んだものです。ここでまた、ご指導を学びましょう。『立正安国論』には重要な御文がいくつかあります。その中でも最重要が、次の二つの御文だと思います。

「如(し)かず彼(か)の万祈(ばんき)を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書p.24)
「須(すべから)く一身の安堵を思わば先ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈らん者か」(御書p.31)

池田先生は、『新・人間革命 第4巻』において、上の二つの御文について次のように指導されています。(ページ数はワイド文庫版です)

「立正」とは「正(しょう)を立てる」、つまり、正法の流布であり、生命の尊厳、人間の尊重という哲理を、人びとの胸中に確立し、社会の基本原理としていくことといってよい。そして、その目的は「安国」、すなわち「国を安(やす)んずる」ことであり、社会の繁栄と平和の建設にほかならない。創価学会の使命は、日蓮大聖人が示された、この立正安国の実現にある。宗教が、現実社会の人間の苦悩の解決から目を背けるならば、もはや、それは宗教の死といえる。(p.265)

(中略)当時、天台宗をはじめ、真言、華厳、律等の既成宗派は、鎮護国家の仏教に安住し、念仏や禅の新興の宗派も、幕府の要人に取り入ることに腐心(ふしん)していた。そして、各宗派は法論を避け、教えの正邪を論議することもなかった。つまり、本来、宗教的信念も、信条も異なる者同士が、互いに馴(な)れ合い、権力に寄生し、庇護(ひご)という美酒に酔っていたのである。もはや、民衆の救済という宗教の大使命は、全く忘れられていた。(p.273)

(中略)さらに伸一は、「須(すべから)く一身の安堵を思わば先ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈らん者か」(御書p.31)の御文では、仏法者の社会的使命について論じていった。四表とは、東西南北の四方であり、広く社会を、また、世界を指す。(中略)自分の安らぎのみを願って、自己の世界に閉じこもるのではなく、人びとの苦悩を解決し、社会の繁栄と平和を築くことを祈っていってこそ、人間の道であり、真の宗教者といえます。

社会を離れて仏法はない。宗教が社会から遊離(ゆうり)して、ただ来世の安穏だけを願うなら、それは、既に死せる宗教です。本当の意味での人間のための宗教ではありません。ところが、日本にあっては、それが宗教であるかのような認識がある。宗教が権力によって、骨抜きにされてきたからです。

(中略)創価学会の目的は、この『立正安国論』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる”悲惨”の二字を根絶していくことが、私たちの使命です。(p.287)

 

 

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