社会が見捨てた人をも救ってきたのが学会 -指導集(19)

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●新・人間革命第8巻 「宝剣」の章から

さらに彼は、たまたま学会員が引き起こした事件などを、あたかも創価学会の問題であるかのように取り上げ、学会批判を重ねるマスコミの報道について、言及していった。
「これまでも、精神の病で苦しんでいた人が入会をし、その後、事件を起こしてしまったこともありました。あるいは前科があり、誰からも相手にされなかった人が学会に入り、また犯罪に関与してしまったこともありました。そのつど、新聞や週刊誌は、創価学会自体が罪を犯したかのように書き立て、私どもは、非難されてまいりました。

しかし、本来は、そうした人たちが人間らしく生きられるにはどうしたらよいかを、政治家や国家などが責任をもって考え、面倒をみていくべきであります。だが、それを切り捨て、誰も、何もしようとはしない。不幸な境遇の人を見て見ぬふりをしているのが、今の多くの政治家であり、高級官僚といわれる役人ではないですか。日本の指導者層は、あまりにも利己主義であり、無責任です。

それに対して、私たち学会員は、この世から不幸をなくそうと、苦しんでいる人を見れば、人間には等しく幸福になる権利があるのだと、信心を教えてきた。創価学会には、いっさい差別はないからです。そして、なんとか幸せになってほしいと、皆さんは真心を込めて、あれこれと面倒をみてこられた。社会的な体裁(ていさい)を繕(つくろ)い、自分のことだけしか考えない人たちには、決してできないことです。

さまざまな悩み、複雑な問題をもつ人を、数多く抱きかかえていけば、なかには、事件を起こしてしまう人が出ることもあるでしょう。しかし、そうなることを恐れて、人間を切り捨てていくことと、どちらが正しい道なのか」

伸一の言葉には、強い確信が脈打っていた。
つまり、社会が見捨てた人をも、真心で包み、ともに幸福の道をめざしてきた最も尊い教団が、わが創価学会であります。心ある指導者ならば、学会の在り方を見て、称賛するのが本来の姿です。たとえば、社会的な地位が高く、財力があり、身体(しんたい)も健康である等、さまざまな条件を設けて、学会が入会を制限していれば、”貧乏人と病人の団体”などと言われることもなかったでしょうし、問題はほとんど起きなかったでしょう。しかし、それでは、苦悩に泣く民衆を救うという、宗教の、なかんずく、仏法の精神を捨てることになってしまいます

メンバーは、学会員が事件を起こしたと報道されるたびに、自分の周囲の人びとに、どう説明してよいかわからず、悔しい思いをしてきた。伸一は、その問題を取り上げ、事の本質を明らかにしたのである。彼は、会員が、いかなる問題で苦しみ、いかなる批判に戸惑っているのかについて、レーダー網を張り巡らすかのように、常に心を配っていた。そして、それが何かをつかむと、真っ先に対応し、論破すべきものは、明快に論破していった。その迅速な対応こそが、言論戦の要締といえるからだ。

 

【ひと言感想】
自分は病を患った一人として、学会のお陰により、そして先生の慈愛に包まれて、これまでどれだけ生きる力を頂いてきたか計り知れません。好き好んで病になったり、或いは人生につまずく人もいないと思います。要は、多少の病に苦しんでいるとしても、広布のために生き抜く人の方が、100%健康であっても、その健康を世間の浅きことに浪費している人より、はるかに優れているのです。私はその大事なことを先生と学会に教えて頂きました。これからも、人生蘇生の我が体験を語りきって、不幸のどん底に喘ぐ人々を励まし救っていきます!

 

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