立正安国の精神と行動

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この前の休日に札幌に交流に行ってきました。父母を乗せて全行程8時間半の交流となりました。1軒を除いて残り全てのお宅に上がることができ対話しました。

今は日本列島じゅう行きましょうという時ですから、札幌交流というのは近場過ぎて、わざわざ言うのも恥ずかしい限りです。しかし遠くも大事ですが、近くもおろそかにはできません。今日土曜日も、朝から配達もあり、昼は車両誘導の任務と、多忙な日でしたが、5区の行動を自分なりにやり切ることができました。

法戦も次第に本格化している時節ですが、昔こんな疑問を投げかけていた人を思い出します。
「どうして法戦を戦わなければならないのか。そのことを明確に教えた御書も、指導も聞いたことがありません」
との内容でした。この1つの答えが『立正安国論』の一節だと思います。

汝須(なんじ・すべから)く一身の安堵(あんど)を思わば
先ず四表の静謐(せいひつ)を祷(いの)らん者か

(御書p.31)

我が身の安穏と幸福を願うならば、周りの世の中、広く言えば全世界の安穏と全民衆の幸福をも祈るべきである、との仰せです。この御書に関して、学会指導にもこうあります。

現実社会の問題に目を背け、ただ宗教の枠に閉じこもっているのは無慈悲である。力ある宗教であればこそ、社会の課題を解決するために、具体的に行動していくべきである(趣意)

創価の日蓮仏法は本来、我が身一個の保身を願うちっぽけな祈りではありません。具体的かつ現実に、社会を変革し繁栄させ人々に真の幸福をもたらす、祈りであり実践なのです。その一環が、仏界・菩薩界を体現した政治家を送り込む、一つ一つの法戦なのです。

 

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