折伏が実ったとき(1)

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これから私が初めて折伏が実ったときのことをお話します。

時は昭和の終わり頃です。
約10年の休眠状態から信心に復活した私は、国立の短大である工業高専で同級生・教官などに仏法対話を徹底してやり抜きました。
その功徳でその高専からは10年振りに、大型コンピュータ-を製造販売する外資系大企業に就職できました。

その会社はコンピューターでは世界でもトップで、百年ほど前に世界で初めてコンピューターを商品として売り始めた、歴史ある会社でした。

何としても折伏したいと決意していた私は、その会社でも勤務時間以外の休日に、同僚に仏法対話して歩きました。
しかしこの時期、この行動がまったく理解されず、職場で誤解やいじめを受けました。

ある日、友人に映写を見せよう、との戦いがあって、高専時代の同級生などに総当たりしました。
「口に合うかは分からないけれど、手料理ふるまうからウチに来ないかい」
と自宅アパートに誘ったところ、記憶では3人位来てくれたのです。

料理なんて元々得意でも何でもなく、只々、喜んでもらいたい一心での智慧だったと思います。
確かカレーライスかナポリタンかを皆で食べ、文化祭の映写をアパートで観賞しました。
当時はまだDVDどころかビデオも学会から出ておらず、8ミリ映写機とスクリーンをセットしてと、なかなか苦心したのを覚えています。
その中の1人が後に学会に入会させることができたK君でした。

それからも休みと言えば折伏戦でした。
平日も仕事の後に2つの会合参加などはざらでした。
休日であったかは忘れましたが、1日に3つの会合参加もありました。
じっくり話を聞いてくれる人は少なかったですが、とにかく動いて動いて動きまくりました。
語って語りまくりました。

この激闘の中で、新聞勧誘で訪れて来た若者を入会希望させることができました。
この若者も名前の頭文字はK君でした。(便宜上 K2君と致します)
初めての小さな成果でしたが、喜んだのも束の間、K2君は勤務中に交通事故に遭い、入院してしまったのです。
地区婦人部長が一緒に行きましょうと言ってくれて、病院に見舞いに行き激励しました。
幸いにも軽傷で済んでいましたが、退院後も何度も何度もK2君のアパートまで足を運びましたが、まったく会えなくなり、その後、引っ越してしまい行方知れずとなりました。

この時期、私自身もバイクで人身事故を起こしてしまい、こちらに過失があったことや相手の打撲の怪我もあり、かなり揉めました。
最終的に横浜市の裁判所まで出頭を命じられ、書類を書かされ、相手の人へも誠意をもって謝罪もし、解決の方向へ向かいました。

さらに、未だ北海道の親元に居た頃、もうすこしで折伏なるか、というところまでいった別の友人が、オフロードバイクで林道を疾駆していた時に、トラックと正面衝突し脳挫傷の重傷を負ったということを耳にしたのです。
これはショックでした。
あの時、信心をさせ切れなかった自分にも責任があるのでは、と自分自身を責めました。
年末の帰省時に、吹雪の中、札幌のその友人の実家まで真っ先に見舞いに行ったのを覚えています。

畳みかけるように大小の試練が襲ってきていましたが、次第に折伏成就の機は熟しかけていたのでした。
(つづく)

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