幹部は会員のためにいる -役職について(3)

人材育成
戸田先生と池田先生
この記事は約4分で読めます。

戸田先生と池田先生


以下の指導は『新・人間革命 第1巻』の最後尾からの引用です。第3代会長に就任した伸一はアメリカ・ロサンゼルスを初訪問します。それ以前にこの地の中心的存在だった婦人部のカズコ・エリックは、未だ渡米して10カ月ほどで大きな実績も無いキヨコ・クワノが支部婦人部長に任命され、自分は地区部長に任命されたことにどうしても納得がいかず、伸一の前で不満を態度に顕わします。そのエリックに対し伸一は、名聞名利の自己を乗り越えるよう諄々と指導していきます。

[1] エリックの人事は、皆で慎重に検討した結果であった。エリックのこれまでの活躍や一途な情熱は、誰もが評価していた。しかし、組織が発展するには、皆の調和を図り、一人ひとりの力を最高に生かし、組織の総合力を高めていくことが大事な要件となる。また、リーダーには、良識や冷静さ、緻密【ちみつ】さも求められる。それらを考え合わせると、活動経験や実践力ではエリックが勝っていても、婦人部長としてはキヨコ・クワノの方がふさわしいのではないかというのが、一行の結論であった。

この[1]のご指導は、学会の人事のあり方をハッキリと示しています。活動経験や折伏の実践力ももちろん大事ですが、それよりも一人ひとりの力を最高に生かす人間力と、組織の総合力を高めていく力量があるかどうかが、何にもまして重要であると仰っています。どれだけ優れた実践力があったとしても、単なる個人プレーでは広布を進めることはできないのは明らかな道理です。

 (中略)
[2] 「学会の組織は、あくまでも日蓮大聖人の御聖訓のままに進みゆくための、信心の組織です。自分が中心者にならなければいやだというのは、信心ではありません。それでは名聞名利です。わがままです。仏意仏勅の団体である学会の団結を乱すことになる。これまで、どんな戦いをし、実績をあげようが、自分の感情によって自身の信心が敗れた姿です。
 また、役職につかないというのも、同じく、わがままです。謙虚さの仮面を被った怠慢であり、利己主義です。広宣流布のためにはなんでもやろう、みんなのために奉仕しようというのが仏道修行です。もちろん、それぞれ仕事の問題など、いろいろな事情があるでしょうから、それは考慮し、相談にも乗ります。しかし、その根本精神を失ったならば、もはや信心の団体ではない。

 大聖人は、『心の師とはなるとも心を師とせざれ』(御書1025㌻)と仰せになっている。
 アメリカは自由の国です。でも、自由だからといって、信心までもわがままになり、自分の心を律する原点を見失ってしまえば、最後は自分自身の心が乱れる。それは不幸を意味する。自分の心を中心に考えるのではなく、どこまでも法を根本にし、広宣流布のために戦おう、生きようと、自分の一念を定めていくところに、自身の人間革命があるんです」

自分の望む役職に就けなければ嫌だ、或いは役職そのものに就くのが嫌だ、というのはわがままであり怠慢だとご指摘です。つまり例え自分が望まないような立場に就いたとしても、「はい、喜んでさせて頂きます」と広布の責任を担っていくことが、無限の功徳と福運を開いていく秘訣なのです。

さらに第1巻の末尾でカズコ・エリックは、しっかりと唱題に励む中で自身の信心を見つめ直します。そして帰国の途に就く伸一に、空港のロビーの別れの場面で心から謝罪します。この二人の人事には互いに欠けているものを補えあえば最も強力な布陣となるとの期待があり、これまで中心的な立場で戦い、力もあるエリックが地区部長になることによって、全地区部長の自覚を高めたいとの思いがあったことが記されています。草創期は女性が地区部長になることは、珍しいことではありませんでした。

いずれにしても「長」になれる人は限られています。大部分の長ではないメンバーも、黙々と戦い陰で支えているのが学会の姿だと思います。どこまでいっても、どんな立場になっても、「学会の幹部は会員のためにこそ存在する」ことを努々【ゆめゆめ】忘れず、成長の節を刻んでいきます。

 

クリックを宜しくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


コメント

タイトルとURLをコピーしました