巌窟王の信心 -指導集(2)

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●本門の陣列は立つ!(11) 大白蓮華13-3月号

「(秋芳洞【あきよしどう】の)奥のところの岩に『巌窟王』と名称がついておりました。
戸田先生が牢に入った時に、
『俺は巌窟王になる。日本の国家主義は、牧口先生を殺した。殺したのだ。おれは必ず仇を討つ! 絶対に、牧口先生を死に至らしめた連中に鉄槌を下す!』と――。
すなわちそれは“広宣流布を成し遂げる!”という根本精神であることは当然でありますが、そのお言葉をよく私どもに話しておられました」

会長の声が力強さを増していく。
「皆さん方もずいぶん批判をされてきたと思います。また皆さん方の後輩も、大【だい】につけ小【しょう】につけ、批判され、いじめられてきております。
私ども幹部は団結して、
『どうだ、大聖人の仏法は絶対、正しかったろう!』
『広宣流布はできただろう!』。
批判していた人間、バカにしてきた人間たちが、
『本当に申し訳なかった。創価学会はたいしたものだ。私は負けた。どうか会員にしてください』
と言わせるぐらいの“巌窟王のような信心”を、お互いに、一生、してまいろうではありませんか!」

一呼吸、置いて会長は断言した。
「それが学会精神です!」
射抜くような眼光が参加者に、なかんずく青年に注がれた。

(中略)
続いて、先輩幹部の在り方を語っていった。
「くどいようでありますが、幹部の成長に尽きます。(中略)“仏法は勝負”です。“証拠”です。いくら幹部だからといっても、信心がなければ、真実の信心修行がなければ、功徳は出ません」

会長は、先輩が模範の姿を示すよう、強く訴えていった。
「功徳が現れていない人は怨嫉しているか、要領が良いか、ウソをついているか、またはヤキモチか、または何もやっていないか、カラ回りか、それは自身の心の中で反省してみれば分かることであります」

会長は強い期待を込めて語っていく。
「大勢の後輩が、皆さん方の姿を見ております。その責任も感じて、これだけ自分は“証拠”を示したという、一人一人になっていただきたい」
ただし――。
「どうか背伸びすることなく、自分らしく」進むよう望んだ。
会長は、見えを張ったり、自分を飾らないよう釘を刺したのだ。自分を飾っているかぎり、本当の人間としての力はつかない。

●新・人間革命 勇将7  13-2-20付聖教

発迹顕本――迹(しゃく)を発(ひら)いて本(ほん)を顕(あらわ)す。仏が仮の姿(垂迹)を開き、その真実の姿、本来の境地(本地)を顕すことを意味する。

日蓮大聖人が、鎌倉・竜の口で、まさに頸を斬られんとした時、江の島の方向から、「月のごとく・ひかりたる物」(御書914㌻)が現れる。その光は、月夜のように明々と人びとの顔を照らした。大聖人を斬首しようとした兵士は、目がくらみ、倒れ伏し、皆、怖(お)じ恐れて、蜘蛛(くも)の子を散らすように、逃げ出したのである。

「近く打ちよれや打ちよれや」(同)と、大聖人が声高に呼んでも、誰も近づこうとはしない。「頸切(くびきる)べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐる(見苦)しかりなん」(同)と叫んでも、返事もない。結局、頸を刎(は)ねることはできなかったのである。

諸天は、大聖人を守護し、大宇宙を動かしたのである。法華経には「刀尋段段壊(とうじんだんだんえ)」(刀は尋(つ)いで段段に壊(お)れなん)とある。

それは、一切衆生を救済せんとして戦い続けてこられた大聖人が、凡夫という「迹」の姿を開いて、その身のままで久遠元初の自受用報身如来、すなわち末法の御本仏の本地を顕された瞬間であった。大聖人は門下に対しても、次のように仰せである。
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」(同1360㌻)
大聖人の仰せのままに、広宣流布に生き抜く創価の同志は、地涌の菩薩であり、その内証は久遠の仏の弟子なのである。

大聖人の誓願は、敷衍(ふえん)して言えば、御自身が発迹顕本されたように、末法の一切衆生を発迹顕本させることにあったといえよう。すなわち、一人ひとりに地涌の菩薩の使命と実践とを教え、御本仏の弟子として、仏の境涯を顕すことを念願されていたのだ。

熱原の法難をもって、大聖人が出世の本懐を遂げられたのも、殉難をも恐れぬ、農民信徒の強盛なる信心に、衆生の発迹顕本を御覧になったからであろう。

●第56回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 06-1-6開催

一、私は心に決めていた。
“断じて、戸田先生に、次の会長になっていただくのだ。そして、広宣流布の指揮を縦横無尽に執っていただくのだ”

私は祈った。先生のために。学会のために。激闘の中で祈り抜いた。
もう寝ても覚めても題目。歩いていても題目。車の中でも、電車に乗っても、時間さえあれば、全て題目。
ただただ、題目を抱きしめて、この世の残酷な苦難をはね返し、戸田先生が第2代会長に就任される道を、命を賭して、切り開いていったのである。

思えば、初代の牧口先生が軍部と対決して牢獄につながれたとき、獄中までお供し、最後まで戦われたのは、戸田先生、ただお一人であった。
この「一人」が大事なのである。
その戸田先生を、人生の全てを捧げてお守りし抜いたのは私である。
ゆえに私は、第3代会長となった。

この究極の「師弟不二」の大闘争にこそ、今日にいたる学会の大発展の根本の因がある。それを、断じて忘れないでいただきたい。
三代の師弟は勝ちました!

 

 


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