組織に人間の血を通わせる要諦とは -指導集(28)

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いかにして組織に、温かい人間の血を通わせるか

伸一は、いかにして組織に、温かい人間の血を通わせるかに、心を砕いていた。物事を効率よく進めるために、組織では、いきおい、合理性の追求が最優先される。すると、すべては画一化され、次第に、その運営も、形式化、官僚化していく。人間は百人百様の個性をもち、顔かたちも違えば、性格も全く異なる。その人間を画一的な枠に押し込めようとすれば、人びとの多様な個性は生かされず、組織から人間性の温もりは失われ、無味乾燥な冷たいものになってしまう。しかし、組織が多くの人びとを擁している限り、どうしても、合理的に運営していかざるを得ない面もある。

 

そこで大事になるのが、一人ひとりに光を当て、各人を大切にしていく実践である。つまり、個別的な一対一の信頼関係を、組織のなかにつくり上げていくのだ。創価学会の組織は、広宣流布のためにある。つまり、一人ひとりが信心の向上を図るとともに、人びとに仏法を教え、自他共の幸福を築き上げていくためのものである。いわば、人間を、個々人を、守り、育むのが学会の組織であり、その責任を分かちもち、担うために役職がある。したがって、役職は人間の上下の関係ではない。万人が皆、平等であるというのが、仏法の教えである。常に、その原点に立ち返り、励ましと信頼によって、人と人とが結ばれていくならば、組織の形式化や官僚化という弊害を打破していくことができよう。

 

(中略)
山本伸一は、言葉をついだ。
「師弟だけでなく、同志も、夫婦も、兄弟も、苦楽を共にしていくなかで結合の度を増し、精神の美しき輝きを放っていきます。創価学会の同志愛、団結の強さの要因も、そこにあるんです。広宣流布の活動では、正念場となるような苦しい激戦もあります。その時に、歯を食いしばりながら、『頑張ろう!』『負けるな!』と、互いに励まし合い、勝利の旗を掲げ続けてきた同志の絆は強い。永遠の友情が培われています。

 

また、友のなかには、病苦、経済苦、家庭不和など、さまざまな悩みをかかえ、苦しんでいる人がたくさんいます。家族や親戚からも、見放されてしまった人もいるでしょう。私どもには、その友の悩みに耳を傾け、幸せを願い、仏法を教えていく使命があります。事実、私たちは、そうしてきました。時には、共に涙し、共に御書を拝し、共に祈り、粘り強く激励の対話を重ね抜いてきました。そのなかで、多くの方々が信心で立ち上がり、苦悩を克服してきたんです。友を励ましてきた人は、苦悩を分かち合った分だけ、喜びも分かち合い、信心の確信も増し、大きな功徳を実感しています。

 

一方、励まされた人にとって、最も苦しかった時に、同苦して自分を激励・指導してくれた同志の存在は、無二の友であり、終生、大恩の人となっています。人間にとって今生の最高最大の財産は、どれだけの人と苦労を共にして励まし、信心を奮い立たせてきたかという体験なんです。したがって、何人もの、いや、何十人、何百人もの人から、『私は、一緒に悩み、祈ってくれたあの人のことを、生涯、忘れない』『あの人がいたから、今の私の幸せがある』と言われる人になることです。それに勝る、人間としての栄誉はありません。その人こそ、最も尊貴な人間王者です。また、そうした個人指導によって結ばれた人間の輪が、学会の組織なんです」

(『新・人間革命』第27巻「求道」)

 

 

 

 

個人指導の意義

山本伸一は、個人指導についての、自分の実感を語っていった。
私が多くの幹部を見てきて感じることは、個人指導を徹底してやり抜いてきた方は、退転していないということなんです。個人指導は、地味で目立たない永続的な忍耐の労作業であり、それを実践していくなかで、本当の信心の深化が図れるからです。さらに、個人指導を重ねていくなかで、自分自身を見つめ、指導することができるようになるんです。だから退転しないんです。

 

もちろん折伏も大事です。ただし、折伏しただけで、入会後の指導をしっかりしていかないと、一時的な戦いに終わってしまう面があります。また、折伏の成果は、すぐに目に見えるかたちで表れるので、周囲の同志から賞讃もされます。それによって慢心になり、信心が崩れていってしまった人もいました。したがって、折伏とともに、個人指導に全力を傾けていくことが、自分の信心を鍛え、境涯を高めていく必須条件なんです。

 

折伏、個人指導は、対話をもって行う精神の開拓作業です。開拓には、困難に挑む勇気と忍耐が必要です。しかし、その労作業が、人びとの生命を耕し、幸福という実りをもたらすんです。どうか皆さんは、誠実に対話を重ね、友の生命開拓の鍬を振るい続けていってください。個人指導は、組織に温かい人間の血を通わせ、組織を強化していく道でもあるんです」

 

皆、決意に燃えた目で、伸一を見ていた。 彼は、笑みを浮かべ、言葉をついだ。
「創価学会の世界では、個人指導は、当然のことのように、日常的に行われています。それは、苦悩を克服するための励ましのネットワークであり、現代社会にあって分断されてきた、人間と人間の絆の再生作業でもあるんです。この私どもの行動のなかに、学会のみならず、社会の重要な無形の財産があると確信しております。やがて、その事実に、社会が、世界が、刮目する時が、きっと、来るでしょう」

(『新・人間革命』第27巻「激闘」)

 

 

「一人を大切に」が学会の伝統精神

「一人」を大切に――これこそ、脈々と受け継がれてきた、学会の伝統精神である。悩める「一人」に光を当て、全魂で対話し激励し抜いていく。とくに若き諸君は、この伝統を決して忘れてはならない。ただ大勢の前で華々しく話をするだけで、地道な指導や激励に積極的に行動しないリーダーはけっして本物ではないし、本物にはなれない。もしも、そうした幹部が多くなれば、これは、学会精神の退廃に通ずるであろう。

 

組織のなかに権威主義や要領主義をはびこらせては断じてならないし、「一人」への全魂の指導と行動なくして、真の仏道修行はありえないことを、皆さま方は深く銘記されたい。

(第二東京支部長会 1987年『池田大作全集第69巻』)

 

 

牧口先生「大きい会合で話すだけでは駄目だ」

牧口先生は、大きい会合で話すだけでは駄目だ、それだけなら「人にほめられたい」という「名誉心」にすぎないとも言われている。もちろん重要な節目の会合は必要である。しかし、幹部は「すぐに人を集める」のではなく、「自分で会いに行く」行動を忘れてはならない。これを忘れたら、大きな錯覚をしていることになる。大勢の前で、うまく話をして、拍手をもらっているだけでは、「口がうまい」だけである。自分の見栄である。友の励ましのために「一軒一軒回る」「一人一人に会う」。地道にそれを貫いている人が「本物」であると申し上げておきたい。

(第12回本部幹部会 1997年『池田大作全集第88巻』)

 

 

ひと言感想

個人指導と言っても、今はコロナ感染症第7波の時ですから、一定の自粛や配慮が必要な時です。夏休み期間でもありますね。また、これまで私の身の回りにおいても、日頃コミュニケーションのある学会幹部の方々を中心に、度々、個人指導に訪れて来てくれます。指導という形をとらずとも、私の身に起こったライフ・イベントを機会に訪問してくれたり、こちらから個人指導を求めた時も、いろいろとご多忙と思いますが、快く時間を確保してくださいます。

 

個人指導する側の立場として見ると、自分の場合、元より人を指導するような力はありません。しかし、ブランク期間を除いても40年以上にわたり学会について実践し、自分らしく信心の年輪を刻んできました。これまで、先生そして先輩方にしてもらったことを、今度は自分が後輩や縁ある人達に返していく番です。それが最高の報恩の実践だと確信します。広宣流布に大きく貢献する人材を、次々と育成・輩出していく中で、自身も大きく成長してまいります。
(長文を最後まで読んで頂き感謝します)

 


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