折伏はなぜ難事なのか(3)

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2.学会組織から承認を得る難しさ

前項に書きそびれたので補足するが、最終的に「この1人に持たせる」と決めるまでには、50人~100人位は聞法下種し抜く必要がある。
これだけの対話ともなれば、回数にして延べ何百回となるであろう、時間にしてどれほどになるであろうか。

たった1人の人に会いに行っても会えないこともある。
1人との短時間の1つの対話も、そこまで漕ぎ付けるのが、並々ならぬ苦労が必要なこともある。
こうしたことも、経ていくべき関門となる。

次に「組織から承諾を得る難しさ」の本題に入るが、学会の御本尊を頂くということは、正義の中の正義であり幸福になる根本の因を我が生命に持つことである。
あまりに偉大な御本尊であり、力ある御本尊であるがゆえに、その御本尊を学会から頂くということは、その人の生命を一家眷族すべてを、幸福へ幸福へと現実に牽引していく。

ただし信心の無い者、御本尊を粗末にする者は、罰を受けるので、なるべくそういうことが起きないよう、御本尊授与は慎重に行なわれる。
勤行を実践していること、座談会へ参加していること、聖教新聞を購読していること、も基本的条件となる。
ご安置に当たっては、住まい・家庭の状況と、謗法物が無いことも確認される。

以上、御本尊受持には様々な条件を満たす必要があり、学会に承認してもらえなければ受けることはできないのである。

ここで紹介者に必要な一念として、学会幹部・同志を動かしていく位の強い強い一念が大事である。
あの幹部の人はどう考えているのだろうと、顔色をうかがっているようでは弱過ぎる。
目の前の友人を救うために、広布の人材にするために、一切の存在を我が一念で動かし、折伏を成就させるのだ、との強盛な一念が重要だ。
その通りに御本尊に叶っていくからである。

なにも悪いことをしているのではない、最高善の祈りと行動なのだから、強い確信と不自惜身命で叶わない訳がないのだ。

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