“心の病”とどう向きあうか

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対談集『健康と人生――生老病死を語る』から抜粋致します。対談者のルネ・シマー博士は1935年、カナダ生まれ。モントリオール大学で医学博士を取得。モントリオール大学長(93~98年)。カナダ医学研究評議会議長、ガン研究国際センターの科学評議会議長などを歴任。

 

対談者のお二人目のギー・ブルジョ博士は1933年、カナダ生まれ。イタリア・グレゴリアナ大学で神学博士、倫理学博士を取得。モントリオール大学生涯教育学部長、カナダ・ユネスコ協会会長などを歴任されました。

 

 

池田 1997年の秋、東京で、ライナス・ポーリング・ジュニア博士と対談する機会がありました。博士は、ハワイで開業し、精神カウンセリングを行っている精神科医です。対談の折、博士は、重度の病気(精神疾患)は、増加しているとは思わないが、社会生活にうまく適応できないケースがふえていると話していました。

 

ブルジョ 少なくとも、精神疾患にかかっている人が、ますます社会環境に適応しにくくなっていることはたしかです。その一方で、適応して生活していける環境は減っています。現代社会において、仕事をしていくためには、私たちはいろいろな抽象概念を扱わなければなりません。抽象的に考える能力を発達させなければなりません。本当は、社会には、抽象化する能力以外にも、さまざまな人間としての能力、特性が必要とされます。ところが、そういう能力は、現代社会では認められていないのです。

 

池田 社会が健全に発展していくためには、人間のさまざまな個性をすべて生かしきっていくことが必要ですね。

 

ブルジョ そうです。私が知っているだけでも、精神疾患にかかっている人で、きわめて優れた才能をもった人や、私がたいへんすばらしいと思った人は何人もいます。愛する能力、悲しむ能力、笑う能力、慈悲をもてる能力。そうした能力、特質は、現代社会においてはあまり尊重されなくなってしまいました。現代のような競争社会においては、そうした特質は、ほとんど用のないものと判断されてしまっているのではないでしょうか。

池田 まったく博士の言われるとおりです。

 

 

 

 

“心の病”に苦しむ人の人権をどう守るか

ブルジョ あと若干、精神疾患について、考えていることを話していいでしょうか。

 

池田 どうぞ、読者のためにも、十分に論を展開してください。

 

ブルジョ 要するに、この数年間、医師や研究者がよく指摘していることなのですが、他の病気が社会的な地位を認められているのに対して、私たちは、精神疾患に、病気としてまだ十分な社会的地位をあたえていないということです。日本の状況はどうですか。

 

池田 日本でも、まだ、“身体の病気”と比較して、“心の病気”についての認識は低いようです。

 

ブルジョ たとえば、企業のトップが心臓を患ったときは、その人が懸命に働いたからそうなったんだというふうに人々は思います。むしろ、敬意を払われるのです。(笑い)

 

池田 日本でも同じです。なにしろ、“エコノミック・アニマル”ですから。(笑い)

 

ブルジョ 逆に、心の病にかかると、これは屈辱的な状態であるととらえられています。

 

池田 残念ながら、日本人のなかにも、同じような風潮があります。

 

ブルジョ 心の病に苦しむ人たちの権利を代弁する声もほとんどないのです。それに対する研究も割り当てられません。心臓病に対する奇跡的な治療方法のために莫大な金を注ぐのに対して、精神疾患に関しては、ほとんどの患者は社会的に犠牲になってしまうのです。

 

池田 そもそも何によって、その人が精神疾患であると決められるのか、その基準は曖昧なように思えてなりませんが。

 

ブルジョ おっしゃるとおりです。教育に関心をもつ者として、述べておきたいことがあります。それは「カメレオン効果」と言われる原理のことです。たとえば、ある学生のことを「頭がいい」と思う。そうすると、その学生は本当に優秀になる。教師の期待に応えるのです。

 

池田 きわめて重要な教育心理学です。人間は決めつけてはいけません。仏法でも「一念三千」と説きます。すべて、こちらの一念で決まります。

 

ブルジョ また、「健常な人」のイメージは、その社会、文明ごとに異なります。健康も、肉体的健康、精神的健康と両面ありますが、その社会における通常の状態、理想の状態の概念に合わない人が、「病気」とされるわけです。

 

池田 そのとおりでしょう。正常と異常の基準は、あるようで明確でないと言えるかもしれません。

 

ブルジョ 正常・異常について申し上げると、人間の通常の安定した状態が狂ってしまった場合、これまでは遺伝子工学によって、もとに戻せるとされてきました。しかし、それは不可能であるとする強力な議論が、近年、起こっています。つまり、これまで「異常」とされた状態も、本当は「正常」かもしれないと考えるのです。「正常」と「異常」の定義は、科学的にも、社会的にも、変わってきました。これは北米の場合ですが、ヨーロッパ諸国も同じだと思います。

 

池田 仏法でも、十界互具と言って、善の生命にも悪が、悪の生命にも善がそなわる実相を説いています。

 

ブルジョ 人間の精神は、まだ科学的に解明されていません。研究が進めば、心の病を治す手だても見つかるでしょう。

 

池田 多くの人に希望をあたえる言葉です。ともあれ、病気による社会的差別、経済的差別をなくしていかねばなりません。高齢者や障がい者、ハンディキャップをもった人、あるいは人種的少数者や社会的弱者、女性や子どもたち、そして、“身体の病”とともに“心の病”に苦しむ人々の人権が、公正に守られる社会をつくっていかなければなりません。そのような人権社会の創出こそ、現代社会の方向性でなければなりません。

 

ブルジョ 今後、心の病気をもった人々の権利やそれらの人々が社会でどう扱われていくかの問題は、おそらく生命倫理のきわめて重要な分野になっていくことは間違いないと思います。

(『健康と人生』ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻))

 

 

ひと言感想

メンタルヘルスに不調がある人は国内だけでも400万人とも言われます。環境の外的条件や、個人の内面の悪条件が揃えば、誰でもいつ発病してもおかしくない疾患と言えます。とくに過度なストレスにさらされ続け、心のエネルギーを使い果たしたために、元の健康状態に戻りにくくなった時の状態です。

 

かく言う自分もメンタル疾患になって長い年月が経ち、だいぶ良くなってきました。きっかけは、職場において、私が創価学会の信仰をしていることを快く思わない、同僚・先輩等から受けたいじめ・迫害がきっかけでした。ちょうど同級生に弘教することができ約3カ月後のことでした。真剣な折伏実践に呼応して、三障四魔が競い起こったのであり、転重軽受、宿命転換のチャンスが到来したのです。

 

メンタル疾患になる原因として男は職場の人間関係の問題、女性は異性との恋愛・結婚の問題がほとんどだそうです。今にして思えば、身体的暴力は受けなかったですし、自己の社会性の不足や、ストレス対処の拙さにも、病までになった一因があったのかもしれません。

 

この後の闘病体験の詳細はここでは略しますが、自分らしく試練に負けずに立ち向かっていきました。池田先生のご指導と先輩・同志との切磋琢磨により、適切な医療の力も借りながら、学会の信心と題目で乗り越えるしかないと確信し、信心を持続してくることができました。

 

約35年前、自分に病が起きる前に折伏が実ったと書きましたが、再発心してから2年余りの間に300万遍の唱題で実ったのです。今、その時から35年でちょうど20倍、すなわち6000万遍ものお題目をあげ抜いてくることができました。

 

法華経法師品には、「妙法を聞きたい、信心をしたい、という人が遣わされてやって来る」という趣旨の経文があります。こちらから足を運んで「打って出る」実践を重ねながら、自らの誓願の祈りによって、広布に大貢献できる人材を次々に呼び起こし折伏していきます。そして創価の御本尊の汲めども尽きぬ大功徳・大福運を、自分は元より縁する人々と共に受けきっていきます。

 

 


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