心こそ大切なれ ~法華の慢(3)

この記事は約3分で読めます。

心こそ大切なれ ~唱題できることへの感謝と歓喜が、自身を福徳で飾る

 

 

 

オンラインで、また別の方(Mさん)との対話を紹介します。Mさんからの質問に、私が答える形です。個人名やプライバシーは伏せてあります。

 

 

レオ
Mさん

Q【質問】

 

今日、友人(N君)が遊びに来たので、仏法対話しました。N君は昔、若い時に信心していて、2時間3時間と題目を唱えて、座談会等にも参加していて、聖教新聞も熟読していたそうです。しかし、「幸せになれなかったから、信心を辞めてしまった」と言うのです。

 

云ってることが本当かどうか分からない面もあるのですが、これだけ信心やっていれば幸せになれると思うのですが? このN君の信心、どこが悪かったのでしょうか?

 

 

 

 

A【回答】

ちょっと忙しくて時間がないので、まず第一感で思ったことだけ言わせてください。

 

その友人N君はなんのためという目的が分かっていないということ。だから題目や学はやっても、肝心の広布の行動をどこまでやったのか、ということ。第2に、「学会に何かしてもらおう」ではなく、「学会のために自分が何が出来るか」が大事です。そうでないと、本当の功徳はないです。どこまでも形式ではない、「心こそ大切なれ」です。


自分の身で学会の素晴らしさを証明していく人生なのか、反対に、「こんなにやっても幸せにれない」と、退転・愚痴の人生とするのか。一念の違いは、大きな結果の違いとして現れます。


あと、「火の信心」より「水の信心」とあるように、持続が大事です。途中までどれだけ凄いことをやっても、後で辞めてしまえば堕地獄となり、功徳はありませんね。さらに、疑って何時間唱えても、不信通りの結果が叶ってしまいます。どこまでいっても強盛な信心です。何度も言いますが「心こそ大切なれ」です。 


一千万遍やったとしても慢心や愚痴なら、功徳は少ないし負けです。たった三遍でも心から歓喜するなら、勝ちです。功徳は大きいです。題目をあげさせてもらった、との深い感謝があるかどうかです。


そして、宿命の転換は生易しいものではない、己心の魔との真剣勝負です。目先の功徳だけを追っている心では、宿命転換はできません。いかなる大難が来ようとも、微動だにしない強い自分に鍛え上げていく中に、宿命転換もできるし真実の幸福も築かれます。


真剣に題目を唱え、学会活動に戦っていること自体が、最高の幸福なんですよ。そこがガッチリと定まれば、世間的な幸福は、後からいくらでもついてきます。譬えは悪いかもしれませんが、自由自在に何でも出せる、打ち出の小槌であり、ドラえもんのポケットみたいなものなんです。


「言ってることが本当かどうか分からない」とありましたが、どうなんですかね。あと、よくN君が過去のことを話してくれたね。よっぽど、Mさんへの信頼が厚いんだね。友情を大事にしてあげてください。


相手の人から来てくれて、「対話の現場」が持てた、という一点でも凄いことです。そこからしか、自他ともに無限に開かれゆく、スタートラインはないですね。自分も今晩、壮年部員と対話します。コロナ禍のため約3年ぶりの、家飲みです。ではMさん、いつもラインお便りありがとうございます。

 

 

クリックを宜しくお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村

夢の醸造所 3.0 - にほんブログ村


コメント

タイトルとURLをコピーしました