命ある限り学びに学び、戦いに戦うのだ -指導集(25)

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●新・人間革命 第19巻 「虹の舞」の章から

◎信心の本当の大功徳とは、この「境涯革命」「人間革命」である。自分の境涯が変わるから、依正不二の原理で、環境も変化し、一切の問題が解決できるのである。

 

◎「微笑は大なる勢力なり、春の風の如し、心の堅氷(けんぴょう)を解(と)くの力あり」とは、信念の思想家 内村鑑三の名言である。

 

◎生きるということは、学ぶということだ。先師の牧口常三郎も、恩師の戸田城聖も、命の燃え尽きるまで学びに学んだ。軍部政府の弾圧によって逮捕された牧口は、独房にあっても必死になって読書に励んだ。死去する一カ月余り前の葉書にも、「カントノ哲学ヲ精読シテ居(い)ル」とある。

また、戸田も、生ある限り読書を怠らなかった。病床で大講堂落慶の式典の指揮を執りながら『十八史略』を読み、伸一にも、「今日は何を読んだか」と、厳しく尋ねるのであった。命ある限り、学びに学び、戦いに戦うのだ。そこにこそ、価値創造の人間道がある。

 

 

●珠玉の励まし「生涯、一兵卒として」 19-4-3付創価新報

1976年(昭和51年)8月25日、九州総合研修所に集った男子部、学生部の中核メンバーへの、山本伸一の万感の思いが込められた指導がつづられています。

 

学会も組織である限り、皆が皆、中心者になるわけではない。脚光を浴びる立場から外れる場合も、当然ある。実は、その時に、人間の本性が現れ、真価がわかる。それをきっかけに、組織から遠ざかり、やがて、離反していく者も出るかもしれない。自分に光が当たらなくなると、離反はせずとも、ふてくされたり、勝手な行動をとる者、傍観者を決め込む者も出るでしょう。(中略)

 

生涯、一兵卒となって、広宣流布のため、同志のために、黙々と信心に励んでいくことです。唱題に唱題を重ねながら、会員の激励に、座談会の結集に、機関誌の購読推進に、弘教に、地を這うように、懸命に走り回るんです。それが仏道修行です。それ以外に信心はない。勇ましく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない。

 

模範の一兵卒たり得てこそ、広布の大リーダーの資格がある。私は、君たちが五十代、六十代、七十代・・・と、どうなっていくか、見ています。人生の最後をどう飾るかだよ。
(「敢闘」の章)

 

 

●忘れ得ぬ瞬間(とき) 創価大学・女子短大2004年4月入学式 19-4-30

正義のため。平和のため。人民の幸福のため――この最も大切な目的に向かって、勇敢に戦い抜き、忍耐強く勝ち抜いていく。これが「青春の英雄」であり、「生命の勝利者」であります。そのためには、心して良書を選び、徹底して読破していくことです。恩師・戸田先生は、厳格に悪書を斥【しりぞ】けました。「良書を読め」と常々言われた。

 

私も若き日、恩師から毎日のように聞かれました。「今、何を読んでいるか」「どんな内容か」。忙しくて読み進んでいないと、たちまち見抜かれた。一緒に旅行した時は、列車に乗っている間じゅう、読んだ本の話をさせられました。東北から東京までの旅の長かったこと――。

 

ともかく先生は読ませました。私を訓練しました。今思えば、幸せなことです。訓練から逃げた人、努力を避けた人は、その時は気楽でいいかもしれないが、後になって苦しむ。あえて苦難の道を、自分を鍛えるために、諸君は頑張り抜いてもらいたい。

 

 

●新・人間革命 第24巻 「灯台」の章から

◎世間への執着を捨てて、仏門に入ることを『出世間』というが、人びとを救うために広宣流布をしていくには、さらに『出世間』を離れ、再び、世間という現実社会の真っただ中で、戦っていかなくてはならない。つまり、『出出世間』だ。実は、そこに、本当の仏道修行があるんだ。だから、“社会に根を張って初めて広布”なんだよ。

 

◎たとえ、立場は新入社員であっても、あるいは、決して、主要なポジションにいるわけではなくとも、“自分が、この会社を守っていこう! 必ず発展させてみせる! 皆を幸福にしていこう!”という自覚を忘れてはならない。それが、仏法者の生き方であり、学会の精神です。

 

腰掛け的な気持ちや、“どうせ自分なんか取るに足らない存在なんだ”という思いがあれば、本当にいい仕事はできません。戸田先生は、よく『ただ月給をもらえばよいというのでは、月給泥棒だ。会社のために、自分はこう貢献したというものがあって、初めて、月給をもらう資格がある』と語っておられた。そして、『“信心は一人前、仕事は三人前”してこそ、本当の学会員だ』と厳しく指導されていた。

 

大聖人が『御みやづか(仕官)いを法華経とをぼしめせ』と仰せのように、自分の仕事を、信心と思い、仏道修行と思って挑戦していくことです。限界の壁を破り、不可能を可能にするという学会の指導や活動の経験も、仕事に生かされなければ意味がありません」

 

伸一は、“皆が職場の第一人者に!”との祈りを込め、魂をぶつける思いで語った。仏法は勝負である。ゆえに、社会で勝利の実証を示してこそ、その正義が証明されるのだ。

 

◎山本伸一は、包み込むように語りかけた。「社会では、さまざまな付き合いや、他宗の儀式の場に参加しなければならない場合もあるでしょう。しかし、窮屈に考え、自分を縛るのではなく、賢明に、広々とした心で、人間の絆を結んでいくことが大事です。日蓮仏法は、人間のための宗教なんです。

 

信心をしているからといって、社会と垣根をつくり、偏狭になってはいけません。また、信心のことで、家庭や職場で争ったりする必要もありません。それでは、あまりにも愚かです。長い目で見て、家族も、職場の人びとも、温かく包み込みながら、皆を幸せにしていくのが、仏法者の生き方です」

 

日蓮教団は、ともすれば、排他的、独善的で、過激な集団ととらえられてきた。事実、日蓮主義を名乗り、テロなどに結びついていった団体もあった。それは、万人に「仏」を見て、万人の幸福を実現せんとした、日蓮大聖人の御精神を踏みにじる暴挙である。そこには、社会を大切にしていくという「仏法即社会」の視座の欠落がある。

 

伸一は、最後に、「常識を大切に」と訴えていった。「非常識な言動で、周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買う人を見ていると、そこには共通項があります。一瞬だけ激しく、華々しく信心に励むが、すぐに投げ出してしまう、いわゆる″火の信心″をしている人が多い。信仰の要諦は、大聖人が『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』と仰せのように、持続にあります。職場、地域にあって、忍耐強く、信頼の輪を広げていく漸進的な歩みのなかに、広宣流布はある。いわば、常識ある振る舞いこそが、信心であることを知ってください」

 

 

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