修行の枝をきられ、曲げられん事疑なかるべし

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●『御書の世界(上)』(池田大作全集第32巻)

火にたきぎ(薪)を加える時はさかんなり、大風吹けば求羅(ぐら)は倍増するなり、松は万年のよはひ(齢)を持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅(ぐら)との如し薪(たきぎ)と風とは大難の如し、法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし、此れより後は此経難持(しきょうなんじ)の四字を暫時(ざんじ)もわすれず案じ給うべし
(四条金吾殿御返事p1136)

 

[通解] 火に薪(たきぎ)を加える時は火は盛んになる。大風が吹けば求羅(ぐら)という虫はますます大きくなる。松は万年の樹齢をもつものであるから、枝を曲げられる。法華経の行者は、火と求羅とのようなものである。薪と風とは、大難のようなものである。法華経の行者は、久遠長寿の如来である。修行の枝を切られたり、曲げられたりすることは、疑いない。これより後は、(宝塔品に説かれる)「此経難持(しきょうなんじ=この経は持ちがたい)」の四字を暫くたりとも忘れず心に留めていきなさい。

 

[池田先生の講義]
池田SGI会長 この手紙をいただいた当時、四条金吾が主君から勘当を受けて苦境に陥っていた。そして、”信心していても現世安穏にはならない”と、つい、グチを漏らしてしまった。そのことを大聖人が伝え聞き、心配して叱咤・激励されたお手紙です。

法華経の実践に難は必然だ。しかし、難に耐え、難を乗り越えていく人は、我が生命本来の「久遠長寿の如来」を現していけるのである。その意味で、難こそ自身を最も深い意味で鍛え磨くための成長の糧である。そう教えられています。困難から逃げ、鍛えを避けるところには、決して向上も成長もない。これは、まさに大聖人の御自身の体験に基づく大確信であり、成仏の修行の永遠の真実です。

私と友情の絆を結ぶ世界の指導者たちの中には、獄中1万日の、南アフリカのマンデラ前大統領はじめ、投獄を経験された方が数多くおられます。その方々は、投獄の体験をむしろ喜びとしておられた。誇りとしておられた。

(中略)
斉藤教学部長(当時) だからこそ、三代にわたる会長が投獄に屈しなかった創価学会を深く強く信頼されていますね。

池田SGI会長 異口同音に「投獄されたことによって、自分自身の信念を鍛え上げることができた」と語られていた。経験していない人間には、想像もできないかもしれないが、私には、よくわかります。例えば、(ノーベル文学賞を受けた)ショインカ氏はこう言っています。「失ったものは『時間』です。得たものは『信念』です。投獄以前よりも、私の信念は強くなりました」

(中略)
エスキベル博士も言われていた。「牢獄で私は学びました。極限状態にあっても生き抜く力、抵抗する力を。その力とは、精神の力であり、魂の力です。牢の中では、体の自由はききません。しかし、心は自由なのです。心は縛られないのです」

 

 

[ひと言感想]
修行の枝をきられ、曲げられるような、いかなる難や圧迫があろうとも、「難こそ自身を最も深い意味で鍛え磨くための成長の糧である」 「試練を越えてこそ、永遠に崩れぬ仏の大境涯をいよいよ強く築ける」とのご指導の通り、強盛な信心で立ち向かっていきます。創立90周年の11・18まで残り12日間、悔いなく戦いきります!

 

 

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