(a)アマラとカマラ
アマラとカマラの物語はご存知でしょうか。
次の写真の右の本『狼に育てられた子』として有名な2人の少女の話です。
詳しい内容はこちらをご覧ください。
→アマラとカマラのあらすじ
左の『アヴェロンの野生児』もそうですが、これらの書籍は、人は人に育てられてこそ初めて人間となる、ことを示しています。
何らかの事情で幼少期に人の手により養育されなかった子供は、生き延びられないか、もしくは人間性を失ってしまい野獣と変わらない存在となってしまうのです。
(注意:アマラとカマラの方は、現在、その信憑性を疑問視する見方もあるようです)
アマラとカマラは極端な例ですが、程度の差はあれ、虐待やネグレクト(=育児放棄)を受けたり、親の愛情と養育を充分に受けられなかった子供は、社会性が十全に備わらずに、成長と共に社会に不適応を来たすことになります。
親子の間に限らず、広く人材育成においても、人は適切な時に適切な世話を受け、教え育まれていくことがいかに大切であるかが、これら野生児の例から知ることができます。
(b)盆栽とジャングル
次に、アマラとカマラの話と一見 矛盾するようですが、子供でも大人でも本来、伸びようとする自然の力がその人自身に備わっています。
ある有名な教育者が次のように言っていたのを思い出します。
「そう、雑木林とかジャングルみたいに、ある意味で、勝手に育つなかから、いろんな個性が発揮されていくというのが、本当の人材、強さなのかもしれません。いじりすぎて盆栽にしてはいけない(笑い)。本来、子ども自身に、そういう生命力や育つ力があると思います」
含蓄の深い言葉だと思います。
子どもは本来、雑木林やジャングルのように自ら“育つ”パワーや無眼の可能性を秘めています。
われわれ(教師)は、その伸びようとする子どもの、秘められた大きな可能性を“いじり過ぎ”て、”盆栽”のようにしてはいないかというのです。
これは確かに「耳が痛い部分がある」との思いを抱く人も多いと思うのです。
盆栽はあくまで観賞用としての存在であり、良い意味での野性味というか、自然に伸びゆく力を抑え込まれてしまっているのですね。
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コメント
盆栽とジャングルの対比は分かりやすいですね。ブロック長と去年の統一地方選挙で意気投合し、一緒に活動するようになりました。
部員さんを掘り起こすのにどうしたらいいか二人で悩みました。事実上の活動家は壮年では私とブロック長で男子部はいませんでした。
コツコツ回りました。去年の9月から毎週木曜日に私の家に集まりました。最初は二人だけでした。
Aさんが仕事のことで悩んでいました。1日15分の題目を約束してくれました。しばらくして座談会でお会いしたらニコニコしているんです。功徳を実感したようで今日まで15分題目が続いています。
Bさんは、ブロック長のしつこい家庭訪問に逆ギレして連絡できなくなり、信心しないと言い出しました。二人で題目上げました。最近、王城会のメンバーになることになりました。どうなっているのと驚きました。いつも居留守をしていたBさんが王城会のメンバーになったんです。
玄関先の会話から一緒に10分の題目を上げる家庭訪問に頑張りました。その第一号が男子部でした。ブロック長が嬉しさで涙を必死に堪えていました。
先月は居酒屋で壮年男子部の食事会をしました。幹部友人を含めて8人が来てくれました。二人から8人は嬉しかったです。
ジャングルのような活動者育成したいんだけどね。まだまだコツコツ必要です。でも、そのおかげで去年からの題目が280万となり福運ある人生を歩んでいる確信が湧いてきました。
うるとらまんさんへ
居酒屋で食事会?それが学会活動の一環でしたら問題ですね。
また、そんな話題をネットで晒すのはいかがなものでしょう。
レオさんお久しぶりです。
私が書き込むと、いろいろと迷惑をかけることもあるかとおもいますので、手短にごあいさつさせていただきます。
以前忠告させていただいたとおりの、良いブログになったとおもいます。
ただ、レオさんが意識されていても、無警戒でプライベートを報告したくてたまらないコメント投稿者が貴殿のブログにカキコミにこられてしまいます。
それはやはりランキング系SNSに登録されているからともいえるでしょう。
「創価」のランキングに登録されている以上、記事は当然のこととして、書き込まれる「コメント」の内容管理もよろしくお願いいたします。
お久しぶりなのに「要望」を書き込んだ事をお許し下さい。
うるとらまんさん、目の覚めるような活動報告有難うございます。
ただ家庭訪問するだけでなく、題目を一緒にあげようとの促し、ブロック長とタッグを組んでの戦い、感動とともに読みました。
壁をこじ開けるような執念の、280万遍の唱題が根底にあったからこそ、そこまで着実に人材が育ち始めたのですね。
ジャングルだとか盆栽だとか、単なる言葉を越えて、見事な実証だと思います。
誰にもその人でしかできない使命があります。
しかし信心の「自覚」が無い人は、いつまでも自己の使命に気付くことができません。
ある意味、我が使命を自覚している人こそが、同志に使命の自覚を促すことができます。
人材育成も、まず育てる方の決定した信心から発するのですね。
いまの喜びを励みに弥弥 勢いを増して、お互いに戦ってまいりましょう。
あべひさん、注意・忠告は一応謙虚に承ります。
あべひさんにも、うるとらまさんにも、私にも、人それぞれに持ち味があることですから、それら個性を伸び伸びと活かしながら団結していければ良いですね。
人に1つ注意する時にも、
褒め言葉→忠告→褒め言葉
というように褒め言葉でサンドイッチしてあげると良いそうです。
人の頑張りを一言でも讃えてあげられない冷酷な心だとしたら、人に忠告する資格など無い、と私は思うのです。
先生も嫌味のあるお世辞や、幹部にお世辞を言う必要はないが、真心からのお世辞の1つも言えないような世界は、仏法のあるべき姿ではないと仰っています。
相手が誰であろうと思ったことは言う、紳士的に理路整然と忍耐をもって、注意すべきことは注意する、というのは、あべひさんの長所でもあると思います。
一言からでよいので褒める言葉も言ってあげたら、余計な摩擦や誤解は減らしていくことができると思います。
居酒屋で食事会については、組織として忘年会・新年会等は明確に禁止されています。
ただしアルコールが入ったのかどうかは定かでないし、我々は子どもでなく大人なのですから、自己責任で行なうことも、一切厳禁で認めない。
学会として厳密に当てはめる、となると無理があるでしょう。
うるとらまんさんは大々的に奨励した訳ではないし、1つの対話の場を持てた喜びを書いただけですから、余り目くじら立てる必要ないと思いますよ。
あべひさんのように注意する人が居ても不思議ではないし、それはそれで意味あることだとは思います。
リンクは自由です。よろしくお願いします。
アベヒさんへの返答ありがとうございます。
同感です。私の組織の方とアベヒさんのことを話し合いました。
現場のことは現場に任せて欲しいとの事でした。
どこの誰かもわからない人に、言われても、幹部としては対応ができないと思います。
ネットは同志が日本のあちらこちらで頑張っている姿などに触れて、奮起するために利用しています。レオさんのブログから元喜もらっています。これからもよろしくお願いします。