かっこ悪くたっていいじゃないか -指導集(22)

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●新・人間革命 第26巻「厚田」の章

(1977年(昭和52年))10月2日の午後、山本伸一は、戸田講堂の食堂で行われた、「北海道未来会」第4期の結成式に出席した。中等部、高等部の代表26人からなる人材育成グループである。伸一が姿を現すと、皆の笑顔が弾けた。伸一も、微笑を浮かべた。しかし、話を始めた彼の顔からは、笑みは消えていた。”この一人ひとりが、広宣流布の大事な大事な後継者である。だからこそ、将来のために、厳しい話もしておかなければならない”と思ったのである。

 

「今日は、君たちの人生において、極めて大切なことを、簡潔に語っておきます」
力のこもった語調であった。皆、居住まいを正した。

 

人間にとって大事なことの一つは、”粘り”ということなんです。ある意味で、人生は、絶望との戦いであるといえるかもしれません。テストの結果もよくない。家庭環境も大変である。経済的にも厳しい。理想と自分の現実との間に、大きな隔たりがある――など、悩みの連続が人生であり、特に青春時代です。そして、ともすれば、”自分はダメな人間なんだ” ”なんの力もないんだ”と考え、卑屈になり、絶望的な思いをいだいてしまう。

 

しかし、そうではありません。”みんなが、尊い使命をもって生まれてきている。必ず自分らしく輝くことができる”と教えているのが仏法なんです。では、どうすれば、自分を輝かせていくことができるのか――それは”粘り”です。思うような結果がでない。失敗する。挫折する。時には、生きる気力さえなくなってしまうかもしれない。それでもまた、立ち上がり、自分の目標に向かって進んでいく。その粘り強さこそが大事なんです。

 

”力がなくてもいいじゃないか。かっこ悪くたっていいじゃないか。でも、自分は負けないぞ!”と、心の炎を燃やすことです

 

山本伸一は、未来会のメンバ――人ひとりに、じっと視線を注ぎながら言葉をついだ。
順風満帆に生きて、苦労もせずに、成功を収めた人などいません。失敗も、挫折もなく、人生の勝利者になった人もいません。泣く思いで苦労に耐え、何度も絶望の淵に立ちながら、粘り強く、前へ、前へと進んでいった人が、人生の勝利者になっているんです。

 

たとえ、失敗や敗北はあっても、絶対に腐ってはならない。いじけて、自らを卑しめることこそが敗北なんです。忍耐強い人が、最後に勝つ人なんです。その粘り強さを身につけていくための唱題であり、仏道修行であることを忘れないでください。

 

人生の勝利の栄冠は、信心を根本に、執念に執念を尽くし、粘って粘って粘り抜き、自分の決めた道を歩んでいった人の頭上に輝くことを宣言しておきます」

 

 

【ひと言感想】
一つのことに徹すること、すなわち、この指導で言われている「執念」や「粘り」ということは、信心に限らず万般に通じることだと思う。次元は違うが、自分は自営業をしてもうそれなりに長い。商売や経営においても、何があってもへこたれず、とにかく「続ける」ということは非常に重要である。

 

人様を教訓できるような実績は自分は何ら無いが、仕事や商売においても「執念」「粘り」ということの大切さは痛感している。何よりも、困難を前にして呻吟(しんぎん)し乗り越えた無数の経験が、職業人としても人間としても自分を鍛えてくれ、簡単に他人には真似出来ない技術やノウハウが蓄積されていく。

 

一つの道に徹すれば徹するほど、顧客満足度を高め、競争優位に立てる「強み」が磨かれるのである。(注意:実際の経営においては、事業の継続だけが唯一の選択ではない。特定の事業領域からの撤退障壁を踏まえたうえで、撤退するという選択もあり得る)

 

「経営の神様」と言われた松下幸之助氏は、不況のため赤字経営に陥いり、批判と不満ばかりを訴える、松下系列の販売会社の社長200人を前にこう言ったそうだ。

 

「あなたは血の小便をしたことがあるか。それぐらい熱心にやらないと、そう簡単に成功するものではない」と。

 

松下氏自身、9歳で小学校を中退し丁稚奉公から始め、ゼロから叩き上げ、日本一の電器メーカーを築き上げた、真正の苦労の人であった。何も自ら進んで体を壊す必要はないのは当然だ。例え絶望の淵にあったとしても忍耐強く戦い抜く人が、最後に勝つ人であると肝に銘じて、前進していきたい。

 

 

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