社会部へのご指導

 

昭和の末頃に外資系大企業に勤めていた私に、「社会部に入りませんか」との声をかけて頂きましたが、私は中身も解らず断ってしまいました。脳裏に浮かんだのは、同じなるなら「創価班になりたい」との思いでした。どちらもその深い意義には無知でした。社会部は第一印象が名前からして地味な感じで、当時は気がすすみませんでした。

その後、創価班面接で不合格になり、牙城会も1度面接で落とされました。これは悔しかったですね、突き放されてみてはじめて「本当にやってみたい!」と腹が決まりました。その後、折伏をやり切って牙城会に入ることができ、12年間ほぼ休むことなく着任致しました。

人材グループを経験し人生経験も重ねてみて今思うのは、ある意味、社会部を敬遠し断ったことから、「社会での実証という部分では、ずいぶん遠回りしてしまった」との反省が強いです。牙城会などで学び訓練を受けたことも、得難い大きな財産となりましたが、可能であれば社会部との両立という道も歩めたのかもしれません。

結果として遠回りはしましたが、ある意味、今からでも社会部の1年生になったつもりで、社会で活躍し実証を示せる信心を改めて決意しています。末尾に上の動画の終りの方で、先生がご指導されている一部を抜粋してみます。

だいたい事件を起こし、社会から何やかや、こちらが中傷されエライ迷惑をこうむるのは、そういう非常識な火の信心の人間ばかりなんです。それとも退転者か。本当に情けない。
本当の信仰というのは社会と一体ですから。最高の良識です。焦ってはいけない。

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ナレッジ・マネジメントと暗黙知

経営学について学び続けてもう10年近くなりますが、経営には様々なフレームワーク(分析ツールや思考の枠組み)があります。その1つがナレッジマネジメントと呼ばれるものです。ナレッジ(knowledge)とは知識のことです。

暗黙知を形式知に変換することにより、組織変革やイノベーション(技術革新)を促し、新しい価値を創造しようとするのがナレッジマネジメントです。

ではここでいう暗黙知や形式知とは何でしょうか。「暗黙知」とは、言葉で表現しにくい主観的なノウハウや信念といった、他人に伝達することが困難な知識です。一方、「形式知」とは言語化可能で文書や言葉で表現できる客観的な知識です。マニュアル化できるのが形式知で、できにくいのが暗黙知と考えて差し支えないでしょう。

一般に「暗黙知」よりも「形式知」のほうが多く利用されており、一説には、
「人が有する知識のうち80%は暗黙知で、残りの20%が形式知である」
といわれています。つまりは、企業がいくら社員の知識を活用しているといっても、それはわずか20%の知識でしかない、ということになります。

よく「知恵と知識を混同してはいけない」 あるいは「いわば『知識』はポンプ、『知恵』はポンプによって得られる水です。水を使えなかったら、ポンプに意味はない。また、『知識』という、ポンプなくしては『知恵』という水も十分には得られない」とのご指導があります。ある意味でその「知恵の領域」に踏み込んでいくのが、暗黙知でありナレッジマネジメントなのかもしれません。

→暗黙知と形式知

→ナレッジマネジメントと暗黙知

 

特に2つ目のリンク先ページを下にスクロールすると出てくる、「高齢社員のスキル移転」という項が興味深いと思います。
(H28.11.4 加筆・修正しました)

 

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世界がもし100人の村だったら

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→世界がもし100人の村だったら 通常版

 

この1つ目の動画の末尾に次の言葉がありました。
「夢は逃げない
 逃げるのはいつも自分だ」と。

改めて、勇気を忘れず、夢・希望の実現に挑戦していきます。
なかんずく、無上の夢である「広布の使命」を、自分らしく果たしてまいります。

 

→世界がもし100人の村だったら の文章

 

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箴言集(3)

「生命あるかぎり、希望はある」
―――スペインのセルバンテス

「ベストを尽くせばいいんだよ。それ以上のことは、だれにもできはしないのだから」
―――20世紀最大の歴史学者トインビーが、入学試験で両親から励まされた言葉。

「大病と浪人(失業)と入獄を
したことのない男は、一人前じゃない」
―――”電力の鬼”と言われた松永安左エ門

「偉大な理想に生きることのない人生は無益である。
それはまるで、いかなる建築にも使われず、
野原に無駄にころがっている石のようなものである」
―――ホセ・リサール

「人間が偉大になればなるほど、中傷の矢【や】に当たりやすくなる。
小人【しょうにん】には中傷の矢さえ当たらない」
―――ドイツの詩人・ハイネ

『魚を与えるのではなく、釣り方を教える』のが教育です。
自分で考える能力を学生に教えるのです。
―――カナダのルネ・シマー博士

試練を受けた心情と知性だけが
最良の実【み】を結び、他は結ばない
―――イギリスの思想家ラスキン

ひとよ、そびえたつその山がいかに険しかろうと
燃えるおまえの熱情がめざしたからには
おそれてはならない
のぼれ、そのさきをよりたかく
―――ベルギーの詩人ヴェルハーレン、『世界名詩集大成3』/平凡社

「人間を評価するのに、
ただ着物か地位だけからするならば、
それは大馬鹿者です」
―――ローマの哲学者・セネカ

一を植えて十の収穫があるのは木材、
一を植えて百の収穫があるのは人材である
―――中国の古典『管子』から

「嫉妬もされないような人間はたいした人間ではない」
「古今東西、偉大な仕事をなした人物は、例外なく嫉妬による悪気流を
半ば宿命づけられ見事にそれらに打ち勝って偉大な事業をなしている」
―――池田先生(趣旨)

墨【すみ】で書かれた戯言【たわごと】は、
血で書かれた事実を、決して掩【おお】い
かくすことはできぬ
―――魯迅(中川俊訳)

一度も不幸な目に会ったことがない人間ほど不幸な人間はない。
なぜかならば、それは一度も自分を鍛える機会が無かったということだからだ。
―――セネカ

「あなたを救う唯一の道は
――――他者を救うことだ」

「優しさと親切は、弱さやあきらめの
しるしではない。強さと果断のしるし
なのである」

「あなたの子どもたちは
あなたのものではない
彼らは生命そのもの
あこがれの息子や娘である
彼らはあなたがたを通して
生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない
彼らはあなたがたと共にあるけれども
あなたがたの所有物ではない」
―――レバノンの詩人

勝ちとることが むずかしければ
むずかしいほど、勝利はいっそう
甘味(かんみ)であり、永久だと、
わたしは心から信じている
―――女性作家モンゴメリ、『赤毛のアン』の著者

ほんとうに肺腑(はいふ)から出たものでなければ、けっして心から心へはつたわらぬ。
―――ドイツの文豪、ゲーテ

「宗教無き政治は
国家の首を吊(つ)る
ロープである」
―――インド独立の指導者ガンジーの言葉

「宗教なき科学は不具(ふぐ)であり、
科学なき宗教は盲目(もうもく)である」
―――20世紀最高の科学者、アインシュタインの言葉から

ここに紹介した言葉はほとんどが、聖教新聞なかんずく先生のスピーチ等で引用されていたものです。まるで言葉のごちそうですね。すごい新聞です。つくづく聖教新聞は世界一の新聞だと思います。

 

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