希望祭 ~未来部文化祭の記憶

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上の写真は昭和46年8月8日に地元市民会館で行われた、学会の希望祭の出演メンバーの写真です。この中に小学校に入ったばかりの私がいます。最上段の左から大人の女性を含めて5人目が私です。肩を組んで笑っている子どもです。実は真面目な顔をしてたのですが、撮る瞬間に隣の人がいきなり肩を組んできたので、思わず笑ってしまったのを、今でも覚えています。しかしこれも練習に来る日も来る日も真面目に取り組んだ結果が、写真の1つの表情に結実したとしか思えません。

 

服装を見て分かる通り、出演メンバーはこの日、小学生向けの組体操をステージで演じました。例えば2人が輪を作っている中を、3人目が飛び抜けていく、といった、一種のリズム体操のようなものです。しかし数千人入る会場でのステージ上での演目は、幼心にも緊張感は大きなものでした。

 

練習は何十回行われたか、行なわれる度に会場を変えて練習しました。婦人部の担当者に連れられて、毎回、歩きに歩いて練習会場に行った記憶があります。未だ幼かったので、希望祭の練習や少年部員会にと、とにかく毎回よく歩いたのが大変でした。移動と練習でへとへとでしたが、幼心にも充実した日々でした。

 

写真の左に立っている白い服を着ている婦人が、引率役であり地域の未来部担当者の方でした。同じ地区におられましたが、数年前に逝去されています。

 

ずっと私は文化祭などへは、神奈川時代、北海道時代と、男子部の時にこれといってきちんと参加できなかった、と後悔の念がありました。しかし、良く思い出してみれば、すでに小学校低学年で、未来部版の文化祭を経験させて頂いてたのでした。この魂への刻印が、大人になって未来部・支部責任者として、10年にわたって戦う「因」となりました。私の少年部時代の部員会などの思い出、また長じて未来部担当者になってからの活動については、また改めて書かせて頂きます。

 

鉄は熱いうちに打て! という通り、訓練するなら小学生でも早過ぎるということは、ないのかもしれませんね。

 

 

 


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