つづきです。
1級の時は、それこそ半端なものではありませんでした。
地元最高幹部じきじきの、連日の2時間ぐらいの講義が続きました。
それをすべてテープに録音して、車で移動時間に常に聞きました。
変な話ですが、トイレにも資料を貼り出して、寸暇を惜しんで研鑽しました。
場所を移しても連日、有志で、明け方まで学習会があり参加しました。
1日4~6時間などは、ざらだったと思います。
それに参加しているメンバーが圏幹部が普通で、最低でも副部長クラスで、その副部長は結果は不合格でした。
私は副地区リーダでしたので、いかに場違いな所に居るかとの重圧がありましたが、勇気を出して誰よりも積極的に研鑽・発言等をしていました。
ここまでの20年くらい、新聞の先生のご指導や教学記事を欠かさず読んできた、地道な努力の積み重ねも、後押ししてくれました。
こうして限界突破の挑戦を通して1次を突破し、2次試験を受けることになりました。
2次試験は、御書一冊まるまるが範囲であり、どこが出るかは当日まで分かりません。
当日、地元最高幹部が試験官となって、1回に3人くらいで面接試験です。
指示されたのは「当体義抄」でした。
数問の質問がありましたが、女子部の幹部と見られる方は素晴らしい答えをされていました。
私は2回ほど答えましたが、数日前に新聞で読んだことを言ったのと、うろ覚えの記憶で答えたのと、とにかくしどろもどろでした。
とにかく間違っても良いから、積極的に答えないと後はないと必死でした。
自分なりにすべてをやりきっての結果は合格でした。
「将来に期待する」の意味も込めての合格だったと思っています。
コメント