最近見た映画は以下の通り。
・ザ・ホワイトハウス 1 よい ☆☆☆☆
・ファイヤーウォール よい ☆☆☆☆
・ターミネーター 4 よい ☆☆☆☆
友人に誘われて「ターミネーター 4」を見てきました。
映画館に行ったのは何年か振りでした。
ターミネーターは1作目も映画館で見ましたが、もう20年くらい前だったと思います。
こんなことにも、ふと月日の歩みを感じました。
また話は飛びますが、次のような御書があります。
「仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる」
(p.891)
一生涯、信心を貫いていく中では、命に及ぶような試練が必ずあるけれども、決して負けてはいけないとの御文です。
「こんなに苦しいなら、いっそ信心を辞めた方が楽じゃないのか」
との弱気が頭をもたげてくる時があるかもしれません。
確かに信心を辞めれば、一時は楽で穏やかな時が過ごせるかもしれません。
それは第六天の魔王がその人をもてなしてくれるからです。
魔王やその手下たちが、
「お前はよくぞ退転したな、よしよし」
「しばらく仏の軍勢を切り崩すための手先として働いてくれ」
と言って、あらゆる角度から魔の通力で援助をしてくれるのです。
しかしその偽物【にせもの】の幸せが続くのは、せいぜい長くて5年でしょう。
「善に付け悪に付け法華経をすつるは地獄の業なるべし」
(p.232)
とあるように退転した人は、いいように魔に利用され、最後は使い捨てられ絶対に堕地獄となります。
善に付け悪に付け、ですからどんな弁解も言い訳も通用しない、その人がどうとらえようが一切関係ないのです。
信心をしていることによって、普段どれだけ守られているか、どれほど諸天善神が働き護ってくれていることか。
それをついつい当たり前のことと思い、御本尊への感謝を忘れた場合には、いかに護られているかというその凄さが見えなくなるのです。
では諸天善神が護っているにも関わらず、なぜ命に及ぶような難があるのでしょうか。
それは「獅子奮迅の力」や「不自惜身命」という信心の極意の一つを、我が身につかむためです。
本当の信心の醍醐味や、御本尊の無限の力を、我が身に涌現し、その大歓喜を実感として味わうためなのです。
「退転だけは絶対にしない、死ぬ瞬間まで創価の信心を貫き通すとの一念が、命の底で定まれば、何も怖いものは無くなる、何ものにも微動だにしなくなりました」と先日、先輩の学会員の方が断言されていました。
私も20代の時に家族が医者に、
「この2~3日が山です。この20数年で同じ症状になった人は、3人いましたが皆、死んでいます」
と宣告されたことがありました。
「こうなったら、もう信心しかない!」と皆で必死にお題目を上げ、今では95%治りました。
大病をする前よりも、格段に心身が強くなったとさえ実感しています。
この試練を通して私は2400万遍のお題目をここまで上げさせてもらいました。
今ではこの試練に対して「本当に深い意味があったのだな」と、感謝の念さえ持っています。
まだまだ本舞台はこれから、との思いで決意を新たにしています。
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